2011.7.20更新
第十一話
 

 カムサリ山のヤマヒトたちは、タネが死ななかったことを知った。そして子を産んで育んでいることも知っていた。
 ヤマヒトたちはトウを恐れた。トウは死者と生者の間に生まれた子なのだ。
 トウは高い知能を持っていた。特に言語に関して。
 アオキの村の人々の言葉、ヤマヒトの言葉。それから商人たちの言葉。その全てを理解し、片言ながら話すことも出来た。
 タネについて薬草の知識を学び、ニンマショウからはニンマの一族代々の教育を受けていた。トウの仕事はそれらの勉強と馬の世話だった。

 アオキには沢山の子供が居る。3歳までの生存率は現代と比べ格段に低いが、3歳を超えると生存率は上がっていき、5歳を超えると、現代と比肩するとまでは言えないが、かなり高い率まで回復するのだった。
 これはアオキが豊かな村であることを物語っている。貧しい村ではそうはいかないだろう。
 子供扱いは精々5歳までで、5歳を超える頃には働き手として数えられる。
 村の子供たちは、大体三つに分けられる。
 親、もしくは兄弟の助けがいるような小さい子供たち、0歳から5歳くらい。ほとんど犬や猫と同じような扱いである。ちなみにアオキの村には犬は少なく猫が多い。アオキの主な産業は農業と商業である。狩猟はそれほど多くない。したがって、猫が重宝がられた。
 5歳から15歳くらいの子供たちは子供組と呼ばれ、大人の仕事を手伝いながら、子供たちだけの社会を形成している。その中でも10歳から15歳くらいの子等は、15歳以上の青年たちからなる青年組の下部組織として、大人社会の規範を学びつつ生活している。年齢は大体のもので、個人差がある。
 また、女たちは少し違っていて、細かい階級のようなものが無い。老いも若きも川にあつまり洗濯をしたり、川の虫(冬の間の食糧になる)や、小魚を獲ったり、小さな畑で作物を育てたりしている。総じて女たちの方が働き者で、男たちが仕事の合間を縫って、賭け事に興じたりしている合間も、手と口を休ませることは無い。水場には女たちの話し声が絶えない。

  ヘイシの子、ヨルウシはトウよりも三つ年上である。
 青年組の中では若い方であったが、村長の息子であり、人格者で、年上の者も下の者もヨルウシを認めていた。
 大人たちも一目置いていた。
 それはもちろん父アオキヘイシの力が大きい。ヘイシはアオキの一帯を一つにし、サカンヌマにも 負けない経済力を持たせるに至った。その功績は誰もが認めるところであり、嫉妬するものはあれ、憎むものは無かった。
 ヘイシには三人の子があったが、ヨルウシの下の二人は女で、姉の方はサカンヌマのサカンリョウの孫、ケイの元に嫁に行った。
 村のほとんどの者は、ヘイシの後継者はヨルウシであると認めていたのだった。
 ヨルウシは背の高い屈強な美男子であった。
 トウはヨルウシに対して強い羨望と深い嫉妬を抱いていた。その二つの感情は相反していそうで、実のところ交じり合った同じものであったのかもしれない。
 他の子供たちがそうであるのと同じように、トウもヨルウシを兄のように慕っていた。ヨルウシに目をかけてもらおうと他の子供たちと競い合った。
 ゲジという24歳の若者が青年組の大将であった。ゲジは気の優しい男で力もあったが、ヨルウシを頼っていた。ヨルウシは青年組の実質的な大将であった。
 ゲジの一つ下にロキという男がおり、これはヘノコギキョウウの孫で、ヨルウシよりも年上だ。
 ロキはヨルウシに負けないほど賢く力もあったが、容姿が醜かった。ヘノコギの人間はキョウウの時代のあと、政治の表舞台から姿を消していたこともあり、ロキの権力はヨルウシに比べて今ひとつであった。
 ロキは才気溢れる若者であったから、ヨルウシばかりが人望を集めることに少なからず憤りを覚えていたのである。

 トウは未だ青年組には入れず、子供組に居た。子供組では最年長の一人であったが、重責を担ってはいない。トウには人望がなかったのだ。
 トウは卑怯な子供であった。目的のために手段を選ばないところがあった。
 子供たちは喧嘩をする。それは群のボスを決めるためのものでもあった。強い者が偉いのだ。トウは強かった。しかし、その勝ち方が汚い。喧嘩に美しさがない。
 トウの喧嘩を見ると、女たちは決まって目を背けた。トウは唾を吐き、必要とあらば尿まで引っかける。相手に噛み付き、急所を狙い、皆が止めるまで喧嘩を止めない。
 鬱屈を抱えていたのだ。その鬱屈は理性に従わない。トウの理性は正しく、相手を痛めつける限度もわきまえていたし、汚い喧嘩が味方を作らないことも知っていた。しかし彼の鬱屈は、理性を排斥し、攻撃欲に身を任せた。
 村の者はトウの出生を知っていた。トウを気味悪く思っている。
 桃から生まれた人間なのだ、トウは。物心つく前から気味悪く思われていたトウは、自分を形成していく過程で、あえて自らを怪物のようにしていったようだった。それは周りの期待に応えるような反応であった。
 トウの容姿は醜く、右足を引き摺って歩く。
 この時代、身体に不自由を抱えている者は多く、そのことで差別されたりすることは少なかった。トウの場合はその生れや、呪い師である父ニンマショウのことで気味悪がられていたのだろう。子供の豊かな感受性が、周りから気味悪い者として扱われることで、トウ自らを気味悪く変容させていった。
 それでもトウと付き合おうとする、男たちは居た。しかし、女となると話は別なのだった。
 アカネという女は13歳になったばかりであった。アカネの父は昔からアオキに居る者ではなく、20年ほど前に妻や、その親族数人でやってきた。
 一族は東の街道を北から下ってきた。エハマのアヒトからの紹介であり、当時の村長であったカンシジが移住を承認したのだった。
 山の中腹辺りで焼畑農業を始め、そこで得られる灰などを村に納めた。灰は、木の実の灰汁を抜いたり、肥料にしたり、大変重宝なのである。
 アカネたちの一族はアオキの人々とは違う顔をしていた。色は白く線も細かった。そして何より目が美しかった。アオキの人々はどちらかと言えば浅黒く、骨も太くゴツゴツしていた。
 村の男たちはこぞって彼らの娘たちを嫁にしようとした。
 特にアカネは美しく、働き者で、健康だった。
 トウも村の他の若者たちと同じくアカネに恋をしていたのだった。

  トウは犬のスケを連れ、カムサリ山の中腹に来ていた。
 小さな沢があり、雨の後などは小さな池が出来た。
 ここで過ごすことが多かった。ここは里山の終り。ここから登れば山人の領域、深山である。
 里山と深山の境には大きなカヤの木があった。
 イチイの木を目印に登り、そこから東に少し下ったところに沢がある。
 仕事の隙を見つけてはここに来ていた。
 トウは仲間たちの賭場から締め出されている。八百長をやらかしたのだ。
 八百長は完璧であった。しかしそれが物足りなかった。完璧過ぎる自分の狡猾な犯罪が明るみに出ないことが。
 トウの八百長は主張だった。自分にはこんな力がある。俺はみんなより優れている。そういう幼い主張だった。であるから、犯罪が明るみに出ないことが歯痒いのだ。
 見つからないことで、自分は他のものよりも優れているという自己満足は得られる。そうすると次はそれを顕示したくなる。
 ある時トウはわざと失敗した。八百長の証拠をヨルウシにだけ見せたのだ。
 ヨルウシはそれを見ると、トウの八百長を告発する。
 トウは袋叩きにあった。袋叩きにあいながら、ヨルウシに微笑みかけたのだった。
 ヨルウシはトウが気味悪かった。どうやら自分を慕ってくれているようだが、トウの愛情は気持ちの良いものではなかった。
 確かにヨルウシは小さな功も我が物にしたかった。
 決して表には出さなかったが、ヨルウシはロキやゲジを恐れていた。ヘイシのあとを継ぐのは自分でなければいけない。
 アオキ村の長は、村の長老たちの合議によって決まる。長老たちは村の人々の多様な意見を聞き会議に挑むのだった。そこに現役の村長は参加できない。それは世襲による富と権力の集中を防ぐ意図からであった。
 しかし、父親が良い長であれば村人の期待は当然その息子に集まる。実際ヘイシも父のカンシジからその座を継いだ。ヘイシは申し分なく偉大であった。
 ヨルウシに対する嫉妬もあり、ロキを推す声もあった。ゲジはその人柄から女子供に好かれた。
 自分が次期村長の筆頭であることは自覚していたが、それでも恐かったのだ。功を積み重ねようと努力した。
 同じ家系から三代続いて村長が出ることに対する懸念も村人たちにはあった。カンシジのころは貧しい村であったが、今は違う。ヘイシは権力も富も持っている。
 ヨルウシは確かに功績が欲しかった。功績があれば、ヘイシの子だから村長になれたという誹りを免れることが出来る。
 トウの八百長を摘発し賭場から追い出したことで「さすがヨルウシ」という話は多少出た。しかしそんなものはすぐに忘れ去られた。大人たちの耳には届いていないだろう。もっと大きく確かな功績が欲しいのだ。
 ヨルウシはトウを気味悪がりながらも、その存在には一目置いていた。何より村の呪い師ニンマショウの子である。ニンマショウはすでに老境に入り、余命いくばくもなかろう。ショウの後釜は妻のタネが暫定的に勤め、後にトウが継ぐであろうと、ヨルウシは考えていた。村長になるには呪い師と友好な関係を築いておいて損はない。
 加えてトウには奇妙な才能がある。深山に住む死者たち、ヤマヒトと話すことが出来るらしいのだ。
 ヨルウシはヤマヒトたちとの交易を考えていた。ヤマヒトたちとの交易はうまくすれば、アオキにまた新たな富を運んでくるに違いない。

  トウは沢に足を浸し、スケが水遊びしている様を見ている。
 満ち足りている。食べるものも、寝る場所もある。人間関係では葛藤を抱えてもいたが、こうして山に入り、ただ座っていると、そんなことは些末なことに思える。
 蜩が鳴いている。
 この辺りは蜩の鳴く時期が早い。高度が高い分、村の辺りよりも随分涼しいのだ。
 村はまだ夏に入ったばかりだった。夏には祭がある。夏の祭は若者組が取り仕切る。
 田植えと稲刈りの祭は豊作を祈り、実りに感謝し、大人たちが取り仕切り盛大に行うものだが、夏祭りはどちらかというと娯楽の側面が強かった。
 死者の国(ヤマヒトが住む深山)から新しい生者を迎え、村で亡くなった者や動物たちを死者の国に送る。
 川の幸、山の幸を食い、酒を飲み、踊る。そのあと若者たちは暗い森に消えていく。
 若者組に入れない者たちは蚊帳の外であった。
 トウは一人夜の森に、他人の睦みあいを覗きに行った。見つからないように手を出したりもした。が、大抵見つかり、相手の男に殴られるのだった。

  スケを伴って沢から少し上り、深山に入った。
 カヤの倒木の洞に手を突っ込み、布にくるまれた長さ60センチほどの荷物を取り出した。
 小太刀である。木製の鞘に納まっている。抜くと鈍く光る刀身が姿を現した。
 ヤマヒトから買ったのだ。
 刀は非常に高価であった。製造に高い技術がいるからである。技術を持った人間の数がまだ少なく、必然的に供給量が不足し、高価となる。
 アオキの村ではこの数十年でスキやクワを作る製法で作った安価な刃物は生活に根ざしたものとして、すでに多く流通している。
 それまでは青銅のものや、鹿の骨や、竹で作ったものも使われていた。
 ヤマヒトたちはカムサリ山の中に鉄のとれる鉱洞を持っており、精製と、鍛冶をもこなした。その技術はこの島国のものではなかったのかも知れない。大陸から流れ来た者を仲間に加えていたのかも知れない。
 トウは小太刀を振り回し、稽古を始める。
 完全な我流である。汗を流し必死に刀を振っている。その姿は滑稽ですらあった。相手の居ない剣の稽古にどれだけの意味があるのかわからない。
 ただ本人は必死であった。必死さだけは伝わってくる。
 呪い師に剣の腕は必要ない。トウはなぜこれほどまで真剣に刀を振るのだろうか。

  トウがニンマショウの館に戻ったのは日が落ちる寸前であった。
 獣と薬草の臭いがする。馬を煮ているのだ。
 ニンマの薬の製法はニンマショウ以外知らない。タネも全貌はしらなかった。
 トウなどは小屋に立ち入らせてもらうことも稀である。
 タネは囲炉裏の傍に座っている。
 細く裂いた竹で魚をすくう籠を編んでいる。岩魚を取るためのものだ。
 四角い紙を真ん中でたわませた様な形をしており、手元のところが袋状になっている。そこの袋状の部分に上手く追い込むのだ。
 この漁は年に一回、アオキの村人総出で行う。それ以外の日に岩魚を取ることは禁じられていた。数十年前、乱獲により漁獲高が一気に減った年があったのだ。それ以来そうなっている。
 獲れた魚は一度集められ、各家庭に均等に配られる。
 タネはトウを見ると微笑んだ。
「遅かったですね」
「はい、スケと沢の方に行っておりました」
「そうですか」
 トウは土間で草鞋を脱ぎ、桶からほんの少しの水を汲み、足を洗った。トウの曲がった右足は、足の裏ではなく側面が地に付く。その足にあった草履はタネが編んでくれたものだった。
 土間と中の間の仕切りは木の枠で、枠の中は中の間になっていた。土の上にムシロが敷かれている。
 中の間の中央やや玄関よりの所に囲炉裏があり、今は天井から鍋が釣られている。
 竈からは、米が炊かれる良い匂いがする。
 ニンマショウが戻ってきた。
「お帰りなさいませ」
 タネとトウの言葉が合わさる。
 ニンマショウは、タネの横に座り小刀で竹を裂くトウをちらと見た。
 ニンマショウは草鞋を脱ぎ、足を拭うと、水を一杯飲み、囲炉裏に座った。
 長持から、なにやら小さな木片を出すと、小刀で何かを彫り出した。呪いに使う呪物を作っているのである。
 また誰かを呪うのだな。
 トウはニンマショウの手元を盗み見る。それは小人の木彫りであった。それを人知れずどこかに埋める。呪われた相手は、ニンマショウがその小人を破壊しない限り、苦しまなくてはいけないのだった。
 呪いはそれを信じている者たちにとっては強い効力を持っている。
 誰それがニンマショウの元に行ったらしい、という噂が立つ。そうすると、その誰それとの間に軋轢を抱えている人物は、戦々恐々とするのだ。この時点で呪いは始まっている。私を呪っているかもしれない。その心労がたたりやがて実際に身体を壊すのだ。
 彼らは現代人よりも自分の身体の調子に敏感だった。その分、反応も過敏なのである。
 そうして病に臥せった者のところに呪い師が出向き、調停する。呪いをかけたものと、かけられたものの間に均衡を作り出し、解決に至る。
 ニンマショウに依頼するのに金や物は要らない。
 依頼を受け、ニンマショウが判断し、呪われる側に否があると思われるときだけ行使するのだ。否が無い場合は呪いの効果も薄かった。
 アオキにおいて呪い師は裁判官であり、警察官であったのだ。
 ニンマショウは老いた。髪は抜け落ち、残った髪も白くなり、顔や身体には皺が目立った。しかしまだまだ死にそうには見えない。
 手を動かしながら話し始めた。
「今日、都の方から来た商人と話した。都では鬼が暴れて居るらしい」
「鬼ですか?」
「そうだ」
「わたくしは、出会ったことがありません」
「そうか、ヤマヒトたちも会ったことはないか?」
「実際に見たという者は知りません」
「そうか」
 トウは二人の会話を聞いていた。
 鬼とはどんなものだろう。噂には聞いたことがある。異形のものでとてつもなく強く、人を食らうらしい。
「父上、鬼は都で何をしているのですか?」
「闇に紛れて人を食らい、価値あるものを略奪しているらしい」
「それは夜盗や強盗と何が違うのでしょう?」
「トウよ、鬼は居ると思うか?」
「思います」
「父はわからぬ。もし、鬼のようなものがあったとして、物を盗みはすまい。物の価値は人の世のこと。人外の者にはなんの価値も無い」
「ならば、鬼とは人なのですね?」
「そうとも言い切れぬ。しかし、人が鬼の名を騙っているだけかも知れぬ。鬼には姿があるのだろうか。姿があるなら、それほど恐れるものでもない。本当に恐ろしいものは目に見えぬのだ」
 ニンマショウはそう言って黙った。最後の方は誰に向けるでもなく、自分に言い聞かせているようであった。
「討伐隊が組織されようとしているらしい。もうすぐ滅ぶだろう。あるいはもう滅んでいるかも知れない」
 ニンマショウは言った。
 
 鬼は居るのだろうか。トウは布団の中で考える。
 この時代、現代と比べ物にならぬほど情報は希少であった。特に正確な情報は。情報のほとんどが口伝である。現代も口伝のようなものだが、発信者から直接情報を受けることが出来る。例えば新聞、テレビなど。
 この時代はそうはいかない。都で起きていることなどは、口伝により湖面の波紋のように広がっていく。中心から外れれば外れるほど、情報は劣化しているものだ。
 AからBへ、BからCへと伝えられる過程で、情報は削られ、足され、誤解される。商人のように一人の人間がAからCへと移動する場合、ある程度は正確な情報が伝わるだろう。
 しかし商人は商人であり、彼らの扱う商品は情報ではないのだ。検証された情報ではない、ただの噂である。
 また写真もなく、写実的な絵の技術も発達していない当時では、いくら正確に伝えようとしても、ある一定の精度を超えられない。言葉でいくら説明しても、見ることには叶わないのである。
 人々は現実と、不正確な情報の間の大きな隔たりを空想で埋めるのである。
 そうなると確かに鬼は居た。
 人に似た、人とは異なる、怪しげな生き物。
 アオキの人たちにとってはヤマヒトも鬼の一種であろう。都の鬼はヤマヒトと違い、理性を持たないと伝えられている。獣のようなものだ。
 山犬(狼)のように残忍で、賢く、人の理が通じず、強大な力を持っている。
 トウは暗闇の中、目を開けている。葉の鳴る音、蛙の声、父と母の寝息が聞こえる。
 闇の中に目をこらす。天上の梁が薄っすら見える。
 鬼を見てみたいと思った。
 その願いは数年経って叶うのである。

(つづく)
 
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