2011.6.20更新
第十話
 

 タネは通訳の女の家に迎えられた。家は斜面に横穴を掘って作られている。横穴を隠すように斜面の前には背の高い草が植えられていた。
 通常ヤマヒトは家族で一つの穴に住む。家族の死滅などで、穴が余れば若い夫婦が移り住む。人口が増えれば新しい穴が掘られることもある。穴を掘るのは容易ではないから、集落のもの総出の作業だ。
 女が一人で一つの住居を所有するようなことはない。生者の言葉を解する女は他のヤマヒトたちから気味悪がられていたようで、半ば隔離されるような形で一人住まいをしていたと考えられる。
 女はヒバと名乗った。あとでわかった事だが、本名ではない。生者に本名を教えるのはタブーとされていたのだ。
 ヒバは始めタネを疎ましがるような態度をとっていた。しかし悪い人間ではない。ヒバの好奇心が強いことも相まってタネと色々話すようになっていった。
 タネもこのヤマヒトの女を好きになった。
 しかし依然ヒバ以外のヤマヒトはタネと接触するのを恐れているようだった。好奇心の強い若者たちはヒバの家を覗きに来たりもしたが、タネがそちらを見ると、サッと逃げて行ってしまった。
 カムサリ山のヤマヒトたちはもともと警戒心が強い。現代的に言うと内気で恥かしがり屋な性格ということになろう。この時代、性格はその人の個性だなどという生易しいものではない。性格が生死に関わってくるのだ。
 内気で恥かしがり屋であるのは、自分たちの生活を外部から守るための知恵である。外から来る悪意を遠ざけるのにも、外にある悪意に容易に近づかないためにも、有効な傾向であったのだ。また、内向的であることが作用しているかどうか定かではないが、彼らは神経質でもあった。小さな異変も、いち早く気付いた。それは山で生きていくのに重要な特性であった。
 ところが集団というものは良く出来ていて、内気な人間が多数を占めていたとしても、そこには少数ながら外向的な人間も存在する。
 まるで集団というものが一つの人間で、その人間が内向的で保守的であるだけでは集団は存続しないことを知っているかのようだ。
 ヒバは言ってみればその外交的な部分を担うバランサーのような存在だった。
 ヤマヒトの女たちは男たちが狩猟に行っている間、畑を耕したり、川に魚を釣りに行ったり、果物や山菜を採りに行ったりして過ごす。ヒバはその時、生者と出会い、交流を持ち、生来の好奇心の強さや外向性を発揮して生者から言葉を習った。
 そのことで一時は仲間のヤマヒトたちから追い出されそうになったが、巫者でもある長老の計らいで集落に残ることを許された。
 タネはどうやら、ヤマヒトたちから疎まれていただけでなく、畏怖され、さらには崇拝にも似た感情を抱かれていた。
 ヒバの話すところによれば、ヤマヒトは死者と生者が交わることを極端に恐れている。それがどういう結果を招くかわからないからだ。
 ヒバは長老に聞いてみた。長老の見解は、死者と生者が交われば死なない者、つまり、生と死の円環の外に居るものが現れる。それは神を宿している。
 神とは人間よりも高次の存在であるというだけで、それが人々に益を成すか害をなすかとは別の話なのである。つまり、人間にはどうすることも出来ない力を生み出すことになるというのだ。
 ヤマヒトたちはこの子を恐れている。タネは自らの腹に手をやった。
 ヤマヒトの集落に来てからすでに数ヶ月の時が過ぎていた。タネの腹は膨らみ、臨月が近いことを示していた。
 ヤマヒトの長老はタネとタネの子を殺し、改めてヤマヒトの村に受け入れるつもりで居るようだった。生者は死して、ヤマヒトになるのだ。タネとその子は、ヤマヒトの子として新たに生まれるだろう。
 タネは死に引かれここに来た。死ぬつもりだった。
 しかし今は違う。この子を産み、育てたい。私を引っ張る死は去った。どうにか、ここを抜け出して、ニンマショウの元に戻らなければ。
 ある時、ヤマヒトに病気が流行った。アオキの村でも良く見る病気であった。
 タネはその治療に当たった。呪い師として未熟ではあるが、ニンマショウの一番弟子である。病は程なくして治まった。
 タネはますます畏敬の念を受けることになる。
 タネにしたらそれは、必ずしも良い結果とは言えなかった。タネはヤマヒトの巫者でもある長老の顔に泥を塗ったのである。
 ヤマヒトの長老のサガンジは、自身の体に精霊(神と精霊に明確な区別はなかったが、ヤマヒト達はその二つの言葉を使い分けていた。大きいものが神、小さいものが精霊くらいの感覚だったのかもしれない)を宿し、その力を使って病を治した。
 精霊の言葉は絶対的に信じられていたので、精霊を宿したサガンジから「これで治る」と言われると治った気になるのだ。時にはそれで実際に病気が治癒されることもある。信じる力は、現代人が思う以上に強いのだ。
 しかし、タネの薬学は、病人の体に直接的に働きかけた。ヤマヒトたちはその力を目の当たりにしてしまったのだ。
 サガンジは老いてもう先の長くない状態であったから、己の保身のことにはあまり頓着していなかった。しかし、タネの力は集落の崩壊さえも招く可能性があると思ったのだ。
 ヤマヒトたちとアオキもしくはサカンヌマとの交流が本格的に始まれば、どういうことが起こるか想像も出来ない。
 タネは臨月を迎えている。もし子供が生まれれば、ヤマヒトたちはその子を神とあがめるだろう。
  サガンジは早くタネを殺さなければいけないと考えた。ヤマヒトたちにとって死は悲しい別れではあるが、恐ろしい消失ではない。生も死も円環の中にある。月の満ち欠け、太陽の昇り降りと同じ、ごく自然のことなのだ。
 サガンジはタネを殺すことを決めた。殺し、川に流すのだ。

 ヤマヒトたちは死体を入れる船を造りはじめた。棺桶のようなものだ。
 少し話がそれるが、ヤマヒトたちは船を造る専用の刃物を持っていた。船は樽のような形をしている。その曲面を出すための湾曲した刃がついた工具だ。このことは、ヤマヒトたちが当時としては高い技術を持った鍛冶屋とのなんらかのつながりを持っていることを示唆している。
 ヒバは、死体を入れる船が製造されていることから、タネが殺されることを知った。サガンジに確認し、タネにそのことを伝えた。
 ヒバの死生観は生者たちとの接触により、サガンジのそれとは違っていたのだ。ヒバはタネに死んで欲しくなかった。
 タネは逃走を考えたが、身重の自分がヤマヒトたちから逃げられるはずがない。そこで一計を案じた。
 まず、ヒバを通じてサガンジに、自分の死体を流す川はイチボ川でなく、メグロ川にして欲しいと伝えた。
 メグロ川はカムキ山にある。そこまで死体を運ぶのは一苦労であるが、サガンジにしてもタネの遺体が集落の近くにあるのは好ましくなかった。タネはメグロ川に流されることに決まった。
 メグロ川の上流でニンマショウが実験をしていることをタネは知っていたのだ。タネはニンマショウの消息が気がかりで、薬と引き換えにヤマヒトの若者に様子を見に行かせていたのである。
 カムチタルの少し下流に生者の男が小屋を建てているのを見たという情報を得た。そんなことをするのはアオキではニンマショウくらいのものだ。
 自分がもし死んでも遺体をニンマショウに引き上げて貰える可能性がある。
 言ってみれば死んだふりだ。ヒバの話や、ヤマヒトの弔いを見ていると、ヤマヒトたちは死体に触れるのを嫌がる。それが生者であるタネの死体ならなお更だろう。
 メグロ川までの道のりをタネの死体を背負って歩くとは考えづらかった。きっとタネ自身に歩かせ、メグロ川の側で殺すに違いない。殺す役はヒバにやってもらうように、ヒバからサガンジに頼んである。
 ヒバに協力してもらい、生きたまま死んだふりをして、川に流してもらうのだ。上手くいけばヤマヒトたちの視界から消えた時に川岸に逃げられるかもしれない。
 そこからアオキに戻れるかもまた賭けである。
 タネは自分と自分の子の命を賭けることに、すがすがしいような気持ちを抱いていた。
 自分とこの子の命の行く末は、私が決めるより、私よりもっと大きなものが決めるほうがいい。そう思ったのだ。

  結果、タネとその子の命は救われた。
 タネは死者たちの国から生還した。腹の子が居なければ戻ってくることはなかっただろう。
 タネを乗せた船はカムチタルを落下し、タネは滝壺で子を産んだ。
 ニンマショウはタネの話を聞くと、深く息を吐いた。
 タネは、試練の時、洞窟で起きたことについては触れなかった。
「死者と出会って、生きて帰った者を俺は初めて見た」
「この子が、死者の国から連れ帰ってくれたのです」
 赤子は起きている時はほとんどを泣いて過ごした。折れた足が痛むのだ。ニンマショウはこの子が成長できるとは思っていなかった。きっと数日中に死ぬであろう。
 運良く成長できたとしても、足に障害が残ることは自明である。足萎えたこの子が、自立して生計を立てることは難しいと思われた。呪い師の仕事を継ぐにしても、森を歩き、森を知り、薬草を摘んだり、馬を殺して解体したり、肉体を使う作業は多いのだ。
 タネはニンマショウの心中を察した。
 ニンマショウはこの子を殺そうと考えているかも知れない。
「ショウ様、この子は神を宿しております」
 ニンマショウは黙っていた。ニンマショウは、本心では神など信じていなかったのだ。
「この子の父親は誰だ? 本当に俺なのか?」
「あなた様と桃の実の間に出来た子です。あなた様の願いが神に届いたのです。桃の実とあなた様の間に出来た子が、妻である私の腹を借りて生まれてきたのです」
 赤子が自分の子か否か、ニンマショウは半信半疑だった。しかし、タネに他の男と接触があったとは思えない。ヤマヒトとの子である可能性は考えられるが、それも腑に落ちないのである。
 確かにこの子が成長して生きていくには、この子自体が神のような存在になればいい。アオキの人々がそれを信じさえすれば。
 物語を信じこませるための伏線はあった。ニンマショウが桃の実の子を成そうと実験に没頭していたことは周知の事実だったのである。タネの死もまた同様であった。
 そうして、ニンマショウが桃の実との間に子をなし、その子をして、タネを死者の国から救いだしたという物語が出来上がった。
 ニンマショウとタネは暗黙のうちに、この物語を事実としてアオキの人々に語ることにしたのである。
 赤子は桃の子。トウと名付けられた。

 15年が過ぎた。
 果たしてトウは成長していた。
 トウはアオキの村人たちから腫れ物のように扱われていた。
 ニンマショウとタネはアオキでの権力を拡大していたのである。アオキの人々はその息子を気味悪がりながら、恐れ、遠ざけた。
 アオキカンシジとヘノコギキョウウは遠に亡くなり、アオキの村長はヘイシが継いでいた。ヘノコギの村長もヘイシが兼ねているような状態だ。
 アオキとヘノコギのわだかまりはもはやほとんど無くなっていた。ハラトの一族に対する差別的な感情が二つの村のわだかまりを解消したのかも知れない。
 ハラトの一族はますます孤立し、カムサリ山のヤマヒトたちと交流するようになっていた。今では「ハラトの一族はヤマヒトになった」と噂されるほどである。
 一時はニンマショウの排斥を唱えたヘイシであったが、今や毎日のようにニンマショウの屋敷に通う仲になっていた。
 ヘイシは7年前に村長の座につき、アオキの一帯を潤わすことに成功した。街道を使った交易が利を上げ始めてきたのである。その主な商品がニンマショウの作る薬だったのだ。
 ヘイシは交易で出た儲けを村に還元していた。村人はニンマショウにもこれまでとは違う敬意を抱くようになったが、それは単純な思いではない。
 村人たちはニンマショウを呪い師として畏怖しながらも、どこかで少し自分たちよりも下に見ていたところがある。村人たちの目にはニンマの一族の暮らしぶりが野蛮に映ることや、ニンマショウの生活が経済的には村人たちの援助で成り立っていたこともその要因であった。
 そうした差別的な視線と畏怖の視線がバランスの取れた状態であった昔は、村人たちのニンマショウに対する思いも安定していたが、今は違う。
 村人の心にはニンマショウに対する嫉妬や妬み、そこから来る歪んだ恨みのような情が認められるのだ。
 ニンマの一族はそうなることを避けてきた。つまり、自分たちに富もしくは権力が集中するような事態を避けてきた。ニンマの一族にはすでに呪い師としての、宗教的権力がある。そこに、政治的な権力や富までも加われば必ず村の人々の反感を買う。ニンマの一族がその歴史の中で得た教訓である。

 ニンマショウは小さな牧場と馬小屋を作り馬を飼っている。
 実験に使っていた部屋は、馬を解体し煮るために改装してしまった。
 ニンマの薬の需要が高まり、製造に本腰を入れなくてはならなくなったのだ。
 トウがやって来て以来、ニンマショウの情熱は急速に冷めていき、ニンマショウは実験をやめていた。
 ニンマショウは卵子の存在を想定していた。
 ニンマショウの考えの根幹を成す部分は揺らぎだしていたのである。
 馬の腑分けをし始めた。馬の内臓から人間の内臓を類推するという発想はニンマショウにはなかった。しかし、馬には目も耳も鼻も口もある。さらに牡馬には男性器があり、雌馬には女性器がある。
 外見にそれだけの類似点がある以上、内臓も似たような構造を持っていると考えるのはいたって自然なことだ。ニンマショウはそう思うに至った。これまで、その考えに思いが至らなかったのは、何かニンマショウの中の人間優位性とでも言うような意識がブレーキをかけていたからかもしれない。
 ニンマショウは馬を買って来てまで、腑分けをするようになった。これまではアオキの村で死んだ馬を主に薬として用いるために貰い受けていただけだった。
 そして、馬の内臓に精通してくると、牡馬と雌馬の違いに気付く。子宮、精巣、卵巣の発見である。
 皮肉なことに、馬を買ってまで腑分けしたことで、ニンマの薬の生産量が一気に増えた。ヘイシの政策と相まって薬が世間に出回り始めると、その評価は上がり、アオキ以外の土地からの需要が増大したのだった。
 ニンマショウとタネは薬作りに忙殺されるようになった。
 ニンマショウの欲望。自分の分身を作るという夢。これは不死への欲望だったのかも知れない。
 ニンマショウの天才はいつの間にか去勢されていた。
 ニンマショウは不死への欲望を富によって満足させようとしたのかも知れない。富とは金であった。金の輝きは永遠を想起させたのだ。
 この15年でニンマショウは変っていた。
 ニンマショウにも自身の能力を評価されたいという気持ちがある。それは独創的な研究によって得られるべきだと考えていたが、彼の研究は誰からも認められるものではなかった。そして、トウの誕生に前後して起きたタネの失踪と帰還、それから研究上の挫折。ニンマショウの心はその谷あいから再び奮起するエネルギーを失っていたのだ。
 そこに来て自分の作った薬が認められ、多くの富を得るに至った。
 薬はニンマショウが伝承したものであって独創ではない。薬の作り方さえ知っていれば誰にでも作れるのだ。そのことはニンマショウの誇りを傷つけた。しかしニンマショウはその事実を無視することで自分を守った。自分に嘘をついたのだ。
 ニンマショウの無意識は、嘘をついて自分を守った彼の自我を責め続けた。自分を過小評価し、ニンマショウの天才は曇っていき、ニンマショウは小さな俗物に成り下がっていった。
 自分の価値を富や権力の大きさと置換し、それらが増えることで自分の価値が上がっていくような錯覚に身を任せていたのだ。
 肉体からは精悍さが失せ、醜く太り、言葉からは覇気が消えた。

  トウが見てきたのはニンマショウのそんな姿だった。
 トウは馬の世話を任せられていた。体は小さく、右足は曲がったままである。下半身が不自由な分、上半身は発達しており、腕周りは常人の太ももほどあった。その異形は村人をして、神の子と思わしめるのに充分であった。
 トウは森の中を自由に動き回った。馬はトウの足代わりであった。トウはまた犬も上手く使った。
アオキの辺りの犬は大きく性格も荒い。村で番犬として飼われているものでもあまり人には懐かなかった。
 トウはそんな荒い犬を良く従えていた。跨って走らせることもあった。馬ほど長くは走れないが、ちょっとした足代わりにはなった。
 村の子供たちとトウが遊んでいる姿を見たことがない。村の子供たちがトウを気味悪がったこともあったが、トウはプライドが高かった。
 タネはニンマショウの伴侶として良く仕えたが、そこに愛情があったかというと難しい。ニンマショウはその魅力を失っていった。反比例してタネは人間的に最盛期を迎えていったのだ。タネに恋する若者も大勢いた。しかし、タネの寝屋に忍び込むほどの命知らずはアオキにはいなかった。
 自然とタネの愛情はトウ一人に向かっていった。タネはトウを異常なほど可愛がった。トウにも頼りはタネ一人だったのである。
 そんな二人の姿をニンマショウがどんな気持ちで見ていたのか。

(第十一話へつづく)
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