2010.8.20更新
第五話
 

 イヌとアオキニンマショウとの婚礼が行われたのは、イヌがサカンヌマを追放されてから2年後の春の事であった。
 式は秋に行われるのがアオキの辺りの慣例だった。刈り入れが終わり、ひと段落した時期にその年に結婚するもの全員、合同で行われる。
 イヌとニンマショウの場合は呪い師と出戻りの結婚ということもあり、当事者の二人とハラトの者数人、それからアオキカンシジとヘノコギキョウウの両村長が参列し行われた。
 場所は川上のニンマショウの屋敷である。
 代掻きの季節。初夏のような気持ちの良い日であった。
 イヌもニンマショウも普段の着物のまま、アオキにある祖先の墓に行き、墓前に結婚を報告した。
 慣例に従ってニンマショウはイヌの親族に牛二頭分の金を支払った。
 金よりも牛の方が信頼に足る通貨であったが、ニンマショウは牛を持っていなかったのだ。
 式の間、イヌは終始無言であった。
 イヌはいったいどんなことを考えていたのだろうか。
 自身の不幸な恋愛に、これで終止符が打てると安心していただろうか。それとも、どうしてもこの先の不幸を思わずにはいられなかったのだろうか。
 ニンマショウは緊張していた。この時ニンマショウは現在でいうと30歳前後の年齢であったが、未だ女を知らないのであった。
 出産の場には何度も立ち会っている。睦みあう男女の姿も何度か目撃した事があった。しかしニンマショウ自身は女性に触れた事もなかった。
 幼いころ、師であり父代わりでもあったニンマセイが生きていたころ、ニンマショウの周りには同じ境遇の子供たちが数人いた。
 数の推移はあったが概ね5人ほどいた。男が多かったが中には女性もいたのだ。
 淡い恋心を抱くこともあった。子供たちは同じ部屋で眠る。
 淡い恋心は制御できない得体の知れない力、即ち欲望と容易に結びつく。
 ある夜、ニンマショウは兄弟子弟弟子が眠るのを待ち、眠る自身の思い人のもとへ這いずって行き、その身体を弄ろうとしたのだった。
 ニンマショウに触れられそうになった少女は目を覚まし、ニンマショウを見た。
 ニンマショウの表情があまりに恐ろしかったのか大声を出し、ニンマショウは兄弟子たちに袋叩きにあった。
 その事件はニンマセイの耳に入り、ニンマショウはしばらく飯が食えぬほど殴られたのだった。
 ニンマショウが10歳にも満たない頃である。
 このエピソードからもニンマショウの性欲の強さが伺われる。
 師父ニンマセイは女性という性に強い畏敬の念を抱いており、その性欲は信仰に昇華していた。ニンマセイの思想には女陰信仰の考え方が色濃く反映されている。
 そのニンマセイは女性に触れることなく死んだ。
 ニンマセイの女性に対する強い畏敬の念は、ニンマショウの中にも植えつけられ、ニンマショウの性欲は長い事、抑圧されていたようである。
 抑圧された性欲は、歪んだ。

  ニンマショウとイヌの結婚生活はアオキの者たちを驚かせるほど平穏であった。常に何かしらの狂気を抱いているように見えたニンマショウも「結婚を機に丸くなった」と噂されるようになり、アオキの者たちはその変化を喜ばしく受け入れた。
 ニンマショウはイヌにとっても良き夫となったのだ。
 ただ、夜を除いては。
 さてここで、ニンマショウのエロティックでいささかグロテスクな実験について触れねばなるまい。
 二人の睦みあいは特殊であった。精液をイヌに飲ませたり、明るいところでイヌの性器を観察したり、それは人体実験を思わせた。
 ニンマショウにとってイヌとの性生活は、死と出生の秘密についての仮説を確かめるための行為であったのだ。大抵の実験はニンマショウの仮説を覆す結果となった。
 しかしニンマショウは実験を止めようとはしなかった。
 イヌの直腸に精液を放ち、それをしばらく腹の中にとどめて置かせ、人の子の形が出来るかどうかを見た。
 これは、直腸の中でも排出されなければ精子はある程度まで人の形に成長するはずだという仮説を確かめるためであった。
 その実験は何度も失敗し、それでも繰り返された。精液の中の小さな人間の存在は、ニンマショウの理論の中ではもっとも重要なものの一つであったのだ。
 ただこの実験は、イヌを被験者にするまでもないことで、自分の身体でも確かめられたように思える。
 ニンマショウは自身の性欲と、真摯な探究心との境界が曖昧になっていくのを感じていた。もしくはその二つは同じものかもしれなかった。
 イヌは良く耐えた。
 そして、2年後二人の間に娘が生まれた。
 イヌは産後1年ほどして体調を崩し亡くなった。出産の影響と思われる。当時としては高齢での出産だった。
 ニンマショウは嘆いた。特殊な愛し方ではあったがイヌを愛していたのだった。
 数年は押し黙り、喪に服すように暮らしていた。
 そしてニンマショウは実験を再開するのだった。
 動物や植物、さらには石や壷などの無生物に至るまで、あらゆるものとの間に子をなそうと、自身の精液を育てることに心血を注いだ。
 なぜ、妻を娶る前にそういった実験をしなかったのか。そして、妻が亡くなったことを契機に実験を始めたのか。
 きっとそれはニンマショウの中でも踏みとどまるべき実験だったのだと思う。
 前出の通り、ニンマショウは自身の出生について「自分は石と人間の子なのではないか」という疑問を持っていた。人と人以外のものとの交合について、何らかの倫理的な禁を感じていたのであろう。それが愛するものの死を経験することによって、ニンマショウの死生感や生物に対する感覚に変化が起きたのかも知れない。
 ニンマショウは自身と人以外のものの交合を開始したのだ。

  イヌとニンマショウの子はタネと名付けられた。
 ニンマショウはタネを後継者にするべく、英才教育を施した。
 タネもまた変ったところのある子であった。アオキの子等とはなじまず、一人森の中で遊ぶことが多かった。
 村の子等が呪い師の子であるタネを恐れ、避けていたのかもしれない。タネ自身にも遠慮があって村に遊びに行きづらかったのかも知れない。
 動物たちの痕跡をたどったりする。
 メグロ川の辺りには森があり、狐や狸、鹿や熊などが住んでいた。リスや野鼠などの小動物も沢山居た。
 タネは鳥が好きであった。ハラトの血を引いているからかも知れないが、6歳になると鳥を狩ってくることもあった。
 そうしてタネは、村の者もニンマショウも滅多に入らない森の深部のことにまで精通していった。10歳を超えると森に出かけ数日帰らないこともあった。

 タネは13歳になった秋、ニンマショウにカムキ山に連れて行かれた。
 タネは男装させられ、身体に特別な化粧をされていた。
 カムキ山の中腹には洞穴がある。洞穴は人の手によって掘られたもののようであるが、アオキの者は誰一人としてその洞穴を知らなかった。ニンマの一族のみ、その場所を知っていたのだ。
洞穴は呪い師が呪い師と呼ばれるずっと以前からあった。それはずっとずっと昔、言葉が生まれる前からそこにあるのだ。当時の人々がどういうつもりでその洞穴を掘ったのか今となってはわからない。
 洞窟を掘るのは容易ではない。しかもその洞窟は人工にしては深く入り口から最深部まで50メートル近くあった。
 途中、木でやぐらが組んであり崩落を予防していた。それらのやぐらは腐りやすいため、ニンマショウや先代のニンマセイ、さらにその先代たちが整備していた。
 採掘場のあとのようでもあったがこの洞窟が作られた当時に鉱物を採集し活用する技術があったかどうかは大いに疑問である。
 内部はジメジメと濡れており夏でも涼しかった。氷室のような使われ方をしていたと推測するのが一番、妥当であると思われる。しかし、村からは遠いのだ。
 タネは洞窟の前に連れてこられた。この場所に来るのは初めてであった。近づくのをニンマショウに禁じられていた。
 大きな飛び出した岩の下に、屈んでやっとくぐりぬけられるくらいの大きさの穴が開いている。穴の横には真新しい白木の蓋が置いてある。見ると洞穴の左右には小さな穴ぼこが計4つ開いている。タネは最初それが何かわからなかったが、蓋の近くに木の棒を見つけ、その棒を閂のようにはめて置くための穴だと察した。
 ニンマショウは終始無言であった。タネの身体に特別な化粧を施すときも一言も発さなかった。時折、悲痛な表情を見せたような気がした。
 タネは洞窟に閉じ込められた。

  アオキ周辺に伝わる神話による解釈では、人間にはもともと男女の差がなかった。
 男でも女でもなかった人間は一人で完結した存在だった。人間はカムキ山に住んでいた。人間は二人居た。
 ある時、人間は粘土から犬を造った。一人の人間が犬に齧られた、もう一人の人間がその犬を食った。
 齧られた人間には傷跡と窪みが出来た。齧られた人間は傷跡から血を流す。犬を食った人間には出っ張りが出来た。そうして人間は男と女になった。
 出っ張りは窪みに戻ろうとする。そうして男と女は惹かれあうのである。
 ニンマショウの科学的な解釈は、男と女の派生について、神話とは全く違う理解の仕方をしている。
 人はとても小さな存在で精液の中に無数に居る。精液の中の小さな人間たちはその精液の持ち主の分身であるが、それは原液のような状態である。まだ男女の差はない。
 女性の体内に吐き出された精液は、そこを巣として留まり、お互い食い合うことによって大きくなり、やがて一つになり、赤ん坊の状態で生まれてくるのだ。
 精液の中の人間は基本的にはその持ち主と同じ人間であるが、一つになる食い合いの過程で様々な経験を繰り返し、精液の主とは少し違って生まれてくる(ニンマショウの遺伝の解釈)。
 双子は、最後に残った二体の力が拮抗していた場合生まれる。どちらもどちらを食うことが出来ずに双子として生まれる。しばしば、全く同じ容姿の双子が生まれるのはそのためである。
 男女の違いはそのお互い食い合う争いの時に生じるとニンマショウは考えていた。
 食い合いの争いが激しくそれを制する事が出来る強い人間は男になり、争いが精彩を欠きそれを制した勝者も強い力を得られなかった時、それは女になる。
 女の男根は小さく豆ほどしかないのはそのためである。つまり、大きな男根を持った男ほど強い力を持った人間であるのだ。
 ニンマショウはこういった見解を、師父からの教えと、わずかな実体験、それから途方もない時間をかけた思考実験の結果得ていた。
 もちろん、今の科学から見れば全くの見当違いではあるが、精液の中に精子のようなものを想定し、遺伝に関しても彼なりの解釈を見出し、女性器と男性器の類似点から男女の性別の秘密に言及するなど、ニンマショウ独自の科学が相当に先鋭的であったことは間違いないのである。
 本題に戻ろう。
 タネは男装のまま、洞窟に閉じ込められた。
 かつてニンマショウも、師父のニンマセイに、この洞穴に閉じ込められたのだ。ニンマショウは兄弟子からこの洞窟での試練について聞かされていた。
 タネは全くそのことを知らなかった。ニンマショウはタネに話さなかったのだ。
 男は女装を、女は男装をする。そして身体に特別な化粧を施すのだ。特殊な塗料(炭と土、動物の精液を混ぜて作ったもの)で全身に渦巻きのような模様を描かれる。また、男は女性器を、女は男性器を、下腹部、自身の性器のすぐ上に描かれる。
 これらの準備には魔術的な意味がある。
 男装、もしくは女装することによって、性別を捨て、人間の原初の状態に戻るのである。また、ニンマの一族が神を想定する場合、神は両性具有者として現れるということも、関係しているのかもしれない。
 そして当然、洞窟は女の腹の中(子宮の存在は未だ周知されていなかった)である。
 そこで数日過ごすことは、死に帰る意味がある。
 洞窟での数日間は、孤独、闇、崩落の危機、そして飢えとの戦いであった。
 実際に命を落とすものも居る。被験者は死に隣接する。死に近づくことによって、死者の国に近づくことが出来るのだ。
 ニンマショウは科学的な思考をする人物であった。もちろん未だ科学と魔術が未分化だった時代である、現代の科学とは趣が全く違うのは当たり前であるが、それでも充分に科学的であった。
 ではニンマショウは、この洞窟での儀式をただの慣例として行ったのであろうか? 答えは否である。
 ニンマショウは13歳のとき洞窟の中で何者かに出会った。
 何者かは黙ってニンマショウの隣に座っていた。暗闇で、見ることは出来ない。恐ろしさから触れてみることも出来なかった。しかし、その気配をニンマショウは確実に感じ取ったのだった。
 それは自分に似ていた。
 ニンマショウは父を知らなかった。
 しかし、自分に似たその暗闇の人間をニンマショウは死んだ父親だと直感したのだった。
 父と子は似ている。という事実を当時のニンマショウは、観察によって知ってはいた。しかし、それはただの知識であって、実感を伴ってそう認識したことはなかった。
 闇で出会った何者か。それは霊のような者だったのかも知れない。それが自分に似ていると感じたとき、ニンマショウは生まれて初めて父を感じた。それは師父であるニンマセイに対して抱く感覚とも全く違ったものだった。
 この時の経験が、精液の中の小さな人間たち、それは自分の分身でもあるというニンマショウの発想として結実するのだった。
 そういった経験があったればこそ、ニンマショウは娘であり弟子であるタネをこの洞窟の中に閉じ込めたのだった。
 タネは美しかった。その美しさは異質さでもあった。
 村の他の娘とは違う。呪い師の子である。容姿もまた村の娘とは全く異なっていた。村の娘たちは作業に従事するため髪を結っていたが、タネは長い黒髪をそのまま垂らしている。女の髪には魔を払う力があるとされていた。タネは毎日のようにその髪を川で洗った。
 村の男たちの中にはタネに恋心を抱く者もあったが、恋心はやがて崇拝に近づいていってしまう。タネには強い魔力があったのだ。
 ニンマショウはタネの魔力が、自分よりも強いことに疑問を抱いていた。タネは小さい男根しか持たない女なのである。
 この疑問を突き詰めて考えることをすれば、ニンマショウは遺伝が父親からだけのものではない、という発想、つまり卵子の存在を想定することにまでたどり着いたかも知れない。しかし、疑問を疑問のままほったらかしにしてしまった。
 それはニンマショウの頑強さであったかもしれないし、情報の少なさによる視野の狭さから来ることかもしれない。すなわち父親の精液こそが人間の根源であり、母親はその仮の住まいでしかないという考えだ。
 ニンマショウは娘のタネに複雑に相反する様々な感情を抱いていたのだった。

(第六話へつづく)
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