2010.6.18更新
第四話
 

 城といっても大きな館のようなものである。それでもお堀があり、石の敷居が城の周りに巡らしてあった。
 石の敷居は膝くらいの高さで、容易に乗り越えられる。しかし、そこにはここを越えてはいけないという決まりごとがあり、それはかなり強い呪力である。人外のもの達にとっても同じで、神も物の怪も石の敷居の中には入ってこられないのだった。
 それは例えば、我々日本人は土足で畳の上に乗ることに抵抗があるが、その禁忌の念の強力なものと思ってもらえればよいだろう。
 そして石の敷居を築くことが出来るのはその土地の権力者だけであった。
 アオキ村やヘノコギ村のように村長が出来るだけ富を蓄えないようにする共同体がある。当然、共同体の長に富が集まるような仕組みを持った共同体も存在するのである。
 富を得た者は城を建てる。城は権威の象徴となり、富と権力が集中していく。権力のある者は、貧しく力の無い者たちを使役する。
 アオキの北西に位置するサカンヌマの城もそうした城の一つであった。
 サカンヌマは大きな村でサカン沼という沼にある社を中心としている。城は沼の社を取り囲む形で立っている。この社の呪い師が村長であり、城の主である。
 政治的な指導者であり宗教的な指導者でもあるサカンハチロウは40代中頃で、二人の息子があった。サカンリョウとサカンサルマキである。
 ハチロウは長男のリョウに政治的な権力を与え、サルマキに宗教的な権力を与えようと考え、育てた。
 勤勉な長男のリョウはしかし高慢で村人たちからの人気は今ひとつであった。
 サルマキの方は気さくな性格で人気の点からは申し分ないのであったが、長としての自覚に欠けた。
 イヌはヘジとの恋仲を引き裂かれ、このサカンハチロウの城に勤めることになった。
 イヌにとって初めて見る村の外の世界であった。
 城での生活は快適であった。決して高待遇ではなかったが、これまでの生活に比べれば格段に上等であった。
 サカンヌマは二つの大きな街道が交わる場所にある。二つの街道は東西と南北に走っており、様々なものがここに集った。特に塩は大きな利益を生むのだった。
 アオキの辺りは東に細い街道を通しているのでそこから安い塩が入る。サカンヌマからの塩はハチロウが間に入るぶん値が高かった。
 アオキとヘノコギが断絶していた時代はアオキ村に塩を売ってそこそこの利益を上げていたが、今ではヘノコギに入った塩がそのままアオキ村に入る。
 ハチロウの先代先々代はアオキとヘノコギの対立を長引かせようと画策したが上手くはいかなかった。
 サカンヌマの頭首としては、アオキの辺りの動向は気になるところであった。
 イヌを引き取ったのにもそういった事情があったからかも知れない。
 イヌはよく働いた。他の奉公人からも次第に一目置かれるようになった。
 そして、イヌがサカンヌマの城に来て2年が経ち、イヌはサカンサルマキのお世話をするようになった。
 サルマキは気さくな男であったが、どこか硬いところがあった。要するに女に奥手だったのである。
 年頃の娘とまともに会話することすらままならなかった。サルマキには吃音の癖があり、本人はそれを気にしていたのだ。
 城の女たちには若い娘もいたが、恐れ多くてサルマキに気軽に話しかける者などいなかった。サルマキはハチロウの後を継ぎ、サカンヌマの神を身に宿す男である。おいそれとは近づけない。
 リョウの方は既に妻を娶り、一男を儲けていた。
 ハチロウはサルマキにも嫁を娶らせ、子を儲けて欲しかった。政治と宗教は分離させた方が良いというのがハチロウの実感だったのである。サルマキに子が無ければ、宗教的な指導者もリョウの子が兼任することになってしまう。
 サルマキは幾つかの縁談を破談にしてきた。縁談相手のお嬢様方にサルマキは不必要な劣等感を抱いてしまうのである。
 イヌはそんなサルマキに対して好感を持っていた。
 イヌはサルマキの部屋の掃除を任されるようになった。
 サルマキはイヌが部屋の掃除するとき、大抵そこに居た。サルマキ自身、忙しくたち働いている最中でも掃除の時間になると、そそと自室に戻った。
 イヌもまたそれを見ていたかのようにサルマキの部屋の掃除に取り掛かる。
 二人は言葉を交わすようになった。
 最初は他愛のないことを。
 そのうちにサルマキは自分の思いや夢をイヌに語るようになった。イヌと話す時は緊張しなかった。イヌとサルマキはどこか似たところがあったのかも知れない。
 イヌもまた多くを語ったが、自分とヘジとのことは語らなかった。
 サルマキは夜中にイヌの寝屋に忍び込むようになった。
 イヌの寝屋と言ってもイヌの他に女たちが8人ほど寝ている。
 寝屋には女たちの思い人たちが夜な夜な忍んで来る。
 女たちの寝屋は石の敷居の外にあった。
 寝屋は真っ暗である。月の明るい夜は戸の隙から月明かりが入り込むが、それとて非常にか細いものである。
 女たちはそれぞれ自分の思い人にだけわかるよう寝巻きに特別な糸を縫いこんでおいたりした。男たちは手探りで自分の思い人を見つけ、睦みあうのだ。
 寝屋に忍び込む男たちは声を漏らさないものである。それは暗黙のうちに出来た礼儀のようなもので、村の男たちは皆知っていた。年上の若者たちから聞き及んでいるからだ。
 女たちはイヌの元に忍び込む男があっても何の不思議にも思わなかった。それがまさかサルマキであるとは誰も思いもよらない。
 ある満月の夜、サルマキはイヌの寝屋に忍び込んだ。
 満月の夜に寝屋に忍び込むのも野暮とされていた。月明かりに睦みあう姿が晒される事を恥じたからだ。
 その夜、女たちは耳をそばだてた。
 野暮な男も居るものだ。きっとどこかの小僧っ子であろう。
 などと思って面白おかしく感じていたのである。男はどうやらイヌの元に忍んで来たらしい。
 イヌに思い人が居ることは周知の事実であったが、イヌはそれが誰かを決して語ろうとはしなかった。女たちはきっとアオキの者であろうと思っていた。
 イヌの思い人が忍びに来るのは3日か5日おきである、若い男にしたら少し悠長である。きっとアオキからこのサカンヌマまで来るのは大変であろうからと勘ぐっていた。
 イヌはサルマキの正体がばれてはまずいと思い、満月の夜に忍んで来た男に囁いた。
「お前様、今宵は満月、どうかお帰りください」
 サルマキはそれを聞いても退かず、黙ってイヌを抱いた。
 翌日から大事な儀式が始まる。サカン沼の社に一日篭もり、サカンヌマを離れるのである。その前にどうしてもイヌに会っておきたかった。
 サカン沼の西にあるカムサリ山に登るのだ。それは命がけの旅だった。
 カムキ山とカムサリ山は対の山である。サカンの一族は4年に一度、まだ雪の残る初春のカムサリ山に登り神が天に帰る見送りをするのだ。
 神はカムキ山に降り立ち、サカン沼の社に住まい、カムサリ山から天に帰っていく。
 怠ればカムキ山に次の神がやって来ない。
 サルマキは4年前のカムサリの儀に父のサカンハチロウに付き添ってカムサリ山に登っていた。今回は一人で行かないとならない。
 初春の山を当時の装備で単独で登るのは文字通り命がけだった。儀式を行うため、山頂付近に一泊しないとならない。
 登山道も無い。登山靴も無い。テントも無い。水筒も持たない。
 さらに悪い事に今年はまだ雪が多く残っていた。
 途中で死ねばサルマキは神になる。神の国に連れて行かれたことになる。しかし、サルマキは神になどなりたくなかった。イヌとの結婚を夢見ていた。
 二人は睦みあった。
 そして去り際、二人は月明かりを頼りにお互い見つめあった。イヌも知っていた。サルマキが明日、死を賭した旅に出る事を。
 随分長い事見つめあっている。
 月も消え、東の空が薄っすら白み出した。もうすぐ一番鳥が鳴く。その前に去らねばならない。サルマキはもう一度イヌを抱きしめた。
「イヌよ」
 声を出した。イヌはその唇を唇で塞いだ。
「お行きなさい。今日は大事な日」
 サルマキは名残惜しげに去っていった。気持ちはイヌとて同じであった。
 二人はもう一度目を合わせた。
 そして、サルマキとイヌが目を合わせたのはこれが最後であった。
 
 サルマキはカムサリの儀を見事にやりのけた。
 通常4日ほどで全行程を終えるものだが、7日かかった。初めての単独での儀式であった上、2日目に降雪があり登頂に時間がかかったからだ。携帯した食糧の量から考えてまさにギリギリの日程であった。
 サルマキは山中の洞窟で2日を過ごした。4年前の儀式の時、父のハチロウに教わった洞窟であった。代々サカンヌマの神官たちが休憩や天候待ちに使った洞窟である。
 そこでサルマキはイヌの夢を見た。
 イヌとサルマキの間に子が出来た夢である。子は神官として強い力を持っているという。
 サルマキは予知夢を見ることが時々あった。サルマキたちの理解では、予知夢は神の告げであるから絶対なのである。予知夢として見たことは事実として受け取る。
 もし、事実が予知夢と違っていた場合は、事実の方を曲げて認識するか、「あれは予知夢ではなくただの夢だったのだ」と理解するのだ。だから予知夢は100パーセント当たる。
 サルマキは死にたくなかった。その思いはサルマキを慎重にさせた。
 そしてカムサリの儀式を無事にやり遂げたのである。
 サカンヌマに戻ったサルマキは社で一泊し、城に戻った。そこではサルマキを待ちわびた村人やサカンハチロウ、サカンリョウなどの親族、村の幹部らの歓待を受けた。今回のカムサリの儀が相当な難儀になることは皆承知であった。ハチロウやリョウはサルマキの死を覚悟していた。サルマキが死んで神になれば、次回のカムサリの儀はハチロウが行い、そしてリョウがその跡を継がねばならない。
 しかし、心配は杞憂に終った。
 こうしてサカンヌマに新しい神官が誕生したのだった。
 周りの感激は大きく強く宴は三日三晩続いた。
 サルマキはすぐにでもイヌに会いたかった。そして懐妊の事実を告げたかった。
 宴を終え、興奮も少し収まった頃、サルマキはイヌの現状を知った。
 イヌは村の牢獄に入れられていたのだ。
 サルマキは激怒し、父のハチロウの元へ走った。ハチロウはサルマキのその行動を予測していた。
 ハチロウはサルマキをなだめ、まず自分の話を聞く様に言った。
 最後にサルマキがイヌを訪ねた夜、サルマキの発した声で忍んで来た男の正体を知った女がハチロウに告げ口をしたのだ。
 ハチロウは奥手のサルマキが女に興味を示すのは悪いことではないと思っていたが、相手が悪かった。ハチロウから見てイヌは下賤の女であった。表向きは誰にも分け隔てなく接するハチロウであったがやはり根の部分にはそういう感覚を強く持っているのである。
 サカンの一族には高貴な血が流れている。それは思い上がりであったが、同時に彼らにとっては歴然たる事実であった。
 それも若いサルマキにはどうでも良いことであった。
 自分はイヌを愛している。私が妻に選んだ女は、神が選んだ女である。
 と、反論した。
 ハチロウはイヌとヘジのことをサルマキに伝えた。
 イヌにはヘジと言う夫があると。
 イヌとヘジは婚礼の儀を執り行ったわけではないから、正式に夫婦ではない。しかし、当時もその辺のことは曖昧であった。特に民間の間では内縁の妻や、重婚、離婚など日常茶飯事であったのだ。 妻の方から離縁することは稀であった。しかし、夫の方からの離婚は多かった。
 ハチロウはイヌがヘジに離縁されたと言った。それは嘘であったが、サルマキにはハチロウが嘘を言うなど考えがつかないことだった。
 サルマキはまだ若かったのだ。
 自分の妻になる女が離縁された女であると思った瞬間、イヌへの気持ちが冷め始めたのに自分でも気づいた。サルマキの中では、崩れそうになるイヌへの想いを慌てて立て直そうとする力と、それをそのままにしてしまおうとする力が戦っていた。
 サルマキは混乱した。自分の思いがそれだけのことで壊れてしまいそうになること、そして、イヌが自分に隠し事をしていたこと。
 サルマキの中にイヌへの暗い恨みの感情が育ち始めた。
 それを見て取ったハチロウは、イヌを早々にアオキに帰してしまうことをサルマキに提案する。
 サルマキはハチロウの顔をハッと見る。
「父様、イヌは私の子を孕んでおります」
「なんだと?」
「私はカムサリ山で夢を見ました。イヌの腹には私の子が居ります。子は私たちの中で最も強い力を持って産まれてまいります」
 ハチロウは狼狽した。サルマキの子は神からの預かりものである。粗末にすることは出来ない。ましてやそれだけ強い力を持って生まれてくる子を、イヌ共々アオキに戻す訳にはいかない。
 イヌは城の座敷牢に移された。
 イヌは懐妊していた。
 イヌはサルマキに会わせて欲しいと何度も懇願したが、その願いは叶わなかった。
 月日は流れ、イヌは子を産んだ。丸々と大きな男の子であった。
 子を産んだイヌは、アオキに連れて行かれた。
 子は母であるイヌを奪われ、城の女たちが不憫がるほど泣き続けたそうである。
 アオキ村のハラトに送り返されたイヌもまた、子を思い何度もサカンヌマの城に入り込もうとし、その度に城の者に打ち据えられた。とうとう気をおかしくしたそうである。
 その後、サルマキはさる村の神官の娘と結婚し三男一女を儲けた。
 もっとも強い力を授かったとされるイヌとサルマキの子がその後どうなったのかはわからない。噂によるとどこかの村の長に引き取られたとも、山に捨てられたとも、母を思いついには病気で亡くなったとも言われている。
 少なくともサカンヌマの歴史にはその名前を残していない。

(第五話へつづく)
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