2010.5.10更新



 缶ビールを2本飲んで、居眠りをしている間に、電車は東京に着いた。亀岡は、そこから新宿まで出て、私鉄に乗り換えなければならなかったのだが、宿の人から借りた松葉杖で歩くのはとんでもなく難儀だった。
 それに疲れた身体で飲んだビールで、電車の中では気持ちよく眠っていたものの、疲労感でぐったりしていた。
 普段は気にしていなかったが、東京の駅というのは階段だらけで、エレベーターもあるにはあるが、そこに行くまでには面倒な作りになっている。乗り換えのため駅構内の人混みの中を松葉杖でのろのろと歩いていると、自分がその場に取り残されているような気分になってくる。
 エレベーターをあきらめ、途中にある階段を使うことにした。松葉杖を脇に、手すりを握って階段を上っていった。
 新宿に着いてからも、松葉杖を脇に階段を下らなければならなかった。改札を抜ける際も、松葉杖が引っかかって抜けるのに時間がかかる。
 やっとのことで私鉄に乗り換えることができたが、普段の5倍くらい時間がかかってしまった。扉の手すりに寄りかかると、額に汗が噴き出してきた。リュックを背負った背中も汗でびっしょりと濡れていた。
 電車はしばらく地下を走り、地上に出た車窓からはごちゃごちゃした街が現れ、ビルの向こうに高速道路が見えた。街のあかりは、淀んだ空気のためにボヤけて見える。
 昨日までは山の中での撮影で、自分自身がシンプルになっていたような気がしていたが、このごちゃごちゃした東京の街並を眺めていると、なんだか少し安心感がわいてきて、ああ、やはり自分は俗物だと思った。
 新宿から亀岡の住んでいる駅までは30分くらいかかる。そこは各駅停車しか停まらないローカルな駅で、改札がひとつしかない。家の方へ出るには、階段を下りて地下道を歩いて、また階段を上らないと外に出れない作りになっている。亀岡は改札を出るとまた汗まみれになっていた。
 都下のしみったれた街に、普段の何倍も時間をかけ、ヘトヘトになって戻ってきた亀岡ではあったが、久しぶりに戻ってきたのに、このまま家に戻って眠ってしまうのはどうも寂しい気がして、駅の裏にあるスナック「キャロット」に足が向かっていた。
 店に入ると、そこにはいつもの顔があった。ペラさんは昔、GSバンドでベースを弾いてコーラスをやっていたので、歌がとんでもなく上手かった。よっちゃんは品川の食肉工場で夜間の警備をしている。だから店にくるのは夜勤があけてからだ。一日置きにやってくるがいつも眠たそうにしている。健太は地元の墓石屋のせがれで、愛想はいいが飲んだくれだ。ポンちゃんは何をやっているのかわからないが、生活保護を受けているらしい。そして前歯がなくて、何を喋っているのかよくわからず、カラオケを唄うと宇宙人が唄っているような感じになった。
 ママのみゆきさんは60代の元気な人で、ひっきりなしに煙草をすっているが、「身体はどーこも悪くないのよ」というのが自慢だった。彼女は肉の入っていない肉じゃがが得意料理だった。それが突き出しで出てくる。他には肉の入っていないすき焼きというのもある。味は、どちらも肉が入っていないだけで、肉じゃがであり、すき焼きだった。
 アルバイトの女の子が二人いて、ミンちゃんという中国の大連出身の娘と、亀岡が最近お気に入りの、ヨシミちゃんがいる。彼女は、週に2回しかアルバイトをしていないのだが、今夜はその日だった。ミンちゃんは休みなのか姿は見当たらなかった。
 松葉杖で亀岡が店に入っていくと、
「あれまあ、亀岡ちゃん久しぶりじゃないの」
 とママが言った。そして松葉杖を指して、
「あれれ。なによそれ」
「亀ちゃん、たしか、山の方に映画の撮影行ってたんだろ?」
 ペラさんが言った。
「どうしたんですか、松葉杖」
 ヨシミちゃんが心配そうな顔をして亀岡に言った。久しぶりに会うヨシミちゃんは相変わらず愛想がよくて可愛かった。
 亀岡は松葉杖を立て掛けてカウンター席に座った。
「ひしゃしぶりしゃねえの」
 ポンちゃんは相変わらず何を言っているのかわからない。よっちゃんは夜勤明けで眠いのか、カウンターに突っ伏して眠っている。健太は亀岡に微笑みかけ、松山千春の歌を唄っていた。
「山菜を採りに行ってね、山から転げ落ちたんですよ」
「鈍臭いわね。でも大丈夫なの?」
「はい、まあ、歩けますから。松葉杖だけど」
 ママが亀岡のキープしている焼酎のボトルをカウンターに置くと、ヨシミちゃんが水割りを作ってくれた。
「本当に、大丈夫なんですか?」
「はい。そんな大したことはないんですけどね。でも撮影途中で怪我しちゃったから、先に撮影終わらせてもらって、今日帰ってきたんです」
 亀岡はヨシミちゃんの作ってくれた焼酎の水割りを飲んだ。濃かった。するとヨシミちゃんが亀岡の顔を覗き込んで、
「そうだ、このまえ亀岡さんの出てるテレビ観ましたよ」
「いやあ。すんません」
 照れくさくなって、また水割りを飲み、「どんな役やってましたか?」と訊いてみた。
「サスペンス・ドラマでした。なんかOLさんの部屋に忍び込んだら、フライパンで頭殴られて、その場で伸びちゃってました」
「あーあれか。みっともなくてスミマセン」
 あくまでも役柄であったが、ヨシミちゃんに言われると、なんだか本当の自分のことを言われているようで、ますます気恥ずかしくなってきた。
 すると酔っぱらったポンちゃんが亀岡のことを指さし、
「ひゃーほれも、みたしょ」と言った。
「ポンちゃんも、観たってよ」
 隣に座っていたペラさんが通訳した。
「格好よかったですよ亀岡さん」
 ヨシミちゃんに言われ、亀岡はまんざらでもなかったのだが、そのサスペンス・ドラマで亀岡は強姦魔の役だった。しかも忍び込んだ部屋で、OLにフライパンで頭を殴られて伸びてしまい、警察に捕まる。さらに、近くで殺人事件が起きていて、その犯人にも間違えられてしまい、投獄されることになるのだが護送中に車が川に落ちてしまい、逃げ出そうとして、溺れ死んでしまうのだった。
 だから「格好よかった」と言われても、まったく実感がわかなかった。しかしお世辞だとしても、やはりヨシミちゃんにそう言われると嬉しかった。
 しばらくすると、ペラさんがロンリーチャップリンをカラオケに入れて、ヨシミちゃんがデュエットをした。ヨシミちゃんはあまり歌が上手ではなかったが、ペラさんのいい声に酔いしれるように、うっとりした目をしていた。亀岡はそんなヨシミちゃんを見て、可愛いなと思いつつも、同時に嫉妬心を憶えた。
「ひゃめほかしゃん、しゅぎは、なんのてれひに、へるにょ」
 ポンちゃんが亀岡に話しかける。
「次は、なんのテレビ出るかって訊いてるよ」
 ママがポンちゃんの言葉を訳した。
「次は、えーっと、またサスペンス・ドラマです」
「ほんにゃ、ひゃくなにょ」
「どんな役なのかって訊いてるよ」
「銀行強盗するんだけど、すぐに捕まっちゃう役ですね」
「ほんにゃにょ、はっかたにぇ」
「そんなのばっかだね」
 ママは煙草に火をつけて、煙を吐き出した。
 ロンリーチャップリンを唄い終わると、「ねえ、亀岡さんもなにか唄ってくださいよ」とヨシミちゃんが言った。
 亀岡は、ヨシミちゃんとデュエットをしたいとも思ったが、ロンリーチャップリンを唄った後に、直ぐ、デュエットをしようと誘うのもなんだかイヤらしい気がして躊躇していると、ポンちゃんがリモコンで三年目の浮気を入れ、ヨシミちゃんとデュエットしはじめた。
「ほみふひはーのわ〜、はなたへいよ〜」
 ヨシミちゃんも、ポンちゃんの歌につられて変な風な言葉になってしまっている。
 亀岡はやはり疲れが溜まっていたのだろう、水割りを三杯飲むと、眠気が襲ってきた。向こうの方では、突っ伏していたよっちゃんが突然起きだして、「あれえ〜、亀岡ちゃん〜」と手を振ってきた。亀岡は手を振り、「あのう、ちょっと今日は帰ります」と言って、ママにお会計を頼んだ。
 すると、ヨシミちゃんに「え〜帰っちゃうんですか、なんか唄ってくださいよ」と、甘い声で言われたので、亀岡は、
「いや、今日は、あの、ちょっと、もう眠いので」
「亀岡さんの歌聞きたいですよぉ」
「なんか唄ってけよ。久しぶりなんだから」
 ペラさんが言った。このスナックでは、カラオケを唄うことが挨拶代わりのようにもなっている。
「じゃあ、一曲だけ唄っていきます」
 亀岡は北島三郎の与作を唄いはじめた。この曲は、昔出た映画で飲み屋の流しの役をやったときに、ギターを弾きながら唄う場面が多く、相当練習したので自信があった。つとめていい声を出そうとして、ちらちらヨシミちゃんの顔をのぞいていた。うっとりした顔をしてもらいたかったのだが、効果は逆で、ヨシミちゃんは与作を唄う亀岡を笑ってみていた。別に笑わせるつもりはなかったのだが、「亀岡さん面白いですねぇ」と言われてしまい、ちょっとショックだった。選曲ミスだったようだ。
 帰ろうとしていたはずの亀岡であったが、ヨシミちゃんをうっとりさせたくて、その後も店に残りカラオケを唄い続けた。しかし、ヨシミちゃんは笑ってばかりいた。そして、ペラさんが唄うと、その声にうっとりしていた。
 結局、夜中の2時まで酒を飲み続け、店を出た亀岡は、松葉杖をつきながら家に戻った。酔っぱらいに松葉杖はさらに難儀だった。「キャロット」から家までは5分の距離だったが、15分くらいかかってしまい、くたびれ果てた亀岡は、そのまま松葉杖を抱きかかえながら、布団に入って眠ってしまった。
(山と都会 完)