2010.6.10更新



 六本木にある高級ホテルの一室に、亀岡はオーディションで呼び出された。随分ふざけたところでオーディションだと思いながら、約束の時間にホテルの部屋をノックした。
 トップシークレットのオーディションだからと、なんの前情報も台本もなかった。部屋の中に入って行くと、応接間のソファに座っているのは外国人が3人に、通訳の日本人女性がいるだけだった。さらにソファの真ん中に座っているのは亀岡が若い頃に観て多大な影響を受けた映画「真っ昼間のカラス」の監督、アラン・スペッソだった。「真っ昼間のカラス」は若者を熱狂させたニューシネマ後期の作品で、亀岡が観たのは20代の頃で、それは名画座での再上映だった。


「真っ昼間のカラス」あらすじ

  主人公の若者はニューヨークの雑踏での生活に孤独を感じている。恋人もいない、
  友達もいない、仕事にもあぶれていて、日々、悶々としていた。
  そんなある日、ゴミを漁っていたカラスになつかれる。そして若者がアパートに
  帰ろうとすると、カラスも一緒についてくる。
  若者はカラスに語りかける。カラスは「カーカー」と鳴くだけであるが、気持ちが
  通じ合うような気がした。
  若者は言う「こんな糞みたいな生活、こんなゴミ溜めのような街なんかにいても仕方
  がねえ、もっとマシな所にいこう」
  「カーカーカー」
  そしてカラスと一緒にニューヨークを出ることにする。
  「もっとマシなところへ。俺達が腐っちまわないところへ」
  ヒッチハイクをして、暖かいところを目指す。しかし途中、ヒッチハイクで乗せて
  もらおうとした男に、「カラスはごめんだね」と乗車拒否をされてしまう。怒った
  若者は男を殴り、揉み合いになったあげく、突発的に男を殺してしまう。(その死体
  の目玉をカラスがつついてくり抜くシーンは話題になった。)
  若者は車を盗み、カラスを助手席に乗せて走り出す。エンジン音とともにカラスが
  激しく「カーカー」と鳴く。(このシーンは、若者の焦燥感を描いた映画史に残る
  名場面だ。)
  車は、フロリダに到着して、キーウェストまで目指す橋を渡っている。強い陽射しを
  浴び目を細めながら「太陽がまぶしいぜ」とつぶやく若者。その瞬間、ハンドル操作
  を誤り、車は青い海に真っ逆さまに落ちて行き、窓からは、真っ黒のカラスが飛び
  立ち、青い海を羽ばたいていく。


 亀岡は、まさか、スペッソ監督がいるとは思わなかったので、興奮してしまい、しばし、わけがわからない状態になっていた。
「ハロー」スペッソ監督が気さくに話しかけてくる。
「あっあっあ。ハロー。アイアム、カメオカタクジ、ジャパニーズアクター」
 通訳の女性が資料を見ながら、監督に亀岡の経歴や過去に出演した作品のことを説明している。英語だから何を言っているかわからないが、時たま、自分の出演した映画の題名が聞こえてくる。
 監督以外の人は、言葉を発することもなく、亀岡のことを眺めている。たまに目が合って気まずい雰囲気になったが、彼らは表情ひとつ変えることはない。
 しばらくすると、通訳の説明を受けていた監督が突然、興奮して「オウ! ヤミノネズミ!」と叫けび、大きなゼスチャーをしながら亀岡のことを見た。
「ヤミノネズミ!」
 亀岡がキョトンとしていると、通訳の女性が、「監督は、亀岡さんの出演している『闇のネズミ』という作品が好きらしいです」と言った。
「ヤミノネズミ!」
「イエス! ヤミノネズミ」と言って亀岡は微笑んだ。
「ヤミノネズミ!」

「闇のネズミ」は5年前に上映された時代劇で、亀岡は主役の男と二人、泥棒を繰り返し、旅をする役を演じた。亀岡の貧乏臭い演技がリアルで話題になり、特にネズミを捕まえて、地面に叩き付けるシーンは衝撃的で、亀岡の演技には狂気が走っていた。しかし実際は、主演俳優があまりにもわがままで、常にイラついていたので、そのような演技ができたのだった。
 監督は興奮して「ヤミノネズミ!」を連呼していたが、他のスタッフは相変わらず表情ひとつ変えずに座っている。
 その後、通訳を介して、質疑応答をしばらくおこない、オーディションは終わった。セリフも読まされなければ、作品の説明もなかった。ただ、今回のオーデションはシークレットなので絶対に口外しないという約束書類に、サインをさせられた。
 亀岡は自分が何をしに来たのかわからないまま家に帰った。
 3ヶ月後、亀岡はモロッコに行くことになった。この前のオーディションに合格したらしいのだが、相変わらずシークレットだということで、台本もなく、内容がざっくり書かれた、あらすじのようなものだけしかなかった。そこには、「男は記憶をなくし、気づいたら砂漠にいた」とだけ書いてあり、自分の役どころすらわからなかった。
 他に送られてきたのは、パリ経由カサブランカ行きの航空券と、そこに添えられた手紙に、空港でハミッドという日本語を喋れる現地人が待っているので、彼に従ってくれればいいとだけあった。滞在期間は10日。情報はそれだけだった。英語で書かれた分厚い契約書も送られてきてはいたが、それは事務所が処理してくれるので、目を通していなかった。
 亀岡は、いつもの大きなボストンバッグで成田空港に向かった。
 いよいよハリウッド映画にデビューするのだが、なんせ内容がまったくわからなかったので、躍る気持ちや、やってやるぞという意気込みは全くなく、地方のロケ現場に乗り込むときと気持ちは変らなかった。
 そんな気分で飛行機に乗り込むと、ビジネスシートだった。これにはさすがハリウッド映画だという気持ちにもなったが、どうも落ち着かない。エコノミーシートに移してくれれば、差額で温泉にでも行けるのにと、せこいことを思った。
 海外に行くのは3年前に韓国の映画祭に行って以来だった。
 離陸後、シートベルトを外すサインが点灯すると、スチュワーデスがまわってきたので、亀岡はウィスキーソーダを頼んだ。
 隣に座っているのが、香水のニオイをぷんぷんさせているフランス人のおばさんで、そのニオイで頭がクラクラしてきてしまった。彼女は気難しい顔をして、分厚い本を読んでいる。
 シートにあるモニターで映画を観ようとしたが、なんだかニオイのせいで集中できずに、ウィスキーソーダを4杯も飲んでしまい、おかげでやたら眠くなってきた。
 食事が終ってからもウィスキーソーダを飲み続け、いつの間にか眠ってしまい、目が覚めたときには、飛行機はパリのシャルルドゴール空港に到着していた。
 トランジットで6時間待って、飛行機を乗り換えた。天気が良かったので亀岡はずっと外を眺めていた。
 飛行機がヨーロッパ大陸からアフリカ大陸に渡るとき、大地の色がいきなり変化したことにいたく感動し、ようやく、なんだか、ものすごく遠くに来てしまったんだなという気分になってきた。そして4時間くらいで、ようやくカサブランカに到着した。
 預けていたバッグを受け取りゲートを出ると、日本とはまったく違うニオイがしてきて、乾いた空気とともに外国にやってきたことを実感させた。
 ゲートの先には、ダンボールに「KAMEOAKA NEZUMI」とマジックで書いたものを持っている背の高い男がいた。白い上下のジャージを着て、髭を生え揃えているモロッコ人だった。
「アイアムカメオカ」
「おー、カメオカさんですね」
 と男は手を差し出してきた。握手をした彼の手は汗で濡れていた。「わたし、ニホンにすんでました。キチジョージのお店ではたらいてました」
 ハミッドは、亀岡の荷物を手に取ろうとした。
「大丈夫ですよ、自分で持てます」
「お客さんですから」
 ハミッドは荷物を持って、すたすたと歩きはじめた。
 空港を出て、駐車場に停まっていたハミッドの車に乗り込んだ。車はボロボロのシトロエンで、走り出すとエンジンの上にダンボールが乗っているようなひどい代物で、走り出すとぐらぐら揺れた。
 そんな車に乗っていると、なんだか色んなことが不安になってきて、いい加減シークレットの情報を解禁して欲しいと思った。
「これから、俺はどうするんでしょうか?」
「今晩はカサブランカに泊まって、明日は朝から電車でマラケッシュに向かいます」
「そこで、撮影ですか?」
「いや、そこからバスに乗って、砂漠へ向かいます」
「砂漠? 撮影はそこで、やっているんですか?」
「そうです。わたしは、そこまで、あなたを連れて行きます」
「よろしくおねがいします」
 窓の外に流れる景色は、砂っぽかった。大きな看板には、蛇がうねったようなアラビア文字が書いてある。走っている車は、日本では考えられないくらいに、スピードを出している。
「砂漠ってのは、ここから近いんですか?」
「いやいや、遠いです、バスだと3日くらいかかります」
 飛行場から1時間ほど走ると、カサブランカの街に入った。街はもの凄い喧噪だった。
 古い石造りの建物もあるが、近代的な大きなビルも建っている。
「あそこがスークです」
 ハミッドが言った先には、城壁のようなものがあり、人が溢れていた。
「スークってなんですか?」
「市場みたいなものです」
 車はそのスークの目の前にある古いホテルに止まった。
 ハミッドはトランクから荷物を出して、ホテルのロビーまで運んでくれ、フロントの男となにやら話をしてから、キーを受け取り、亀岡に渡した。
「今日は、ここに泊まってください。明日の朝迎えにきます。お金の両替は、フロントでできます。ご飯とか食べるのなら、近くに食堂があります」
 ハミッドはもう少し面倒をみてくれるものだと思っていたが、どうもここで帰ってしまうらしい。
「あとは、自由に行動していてください」
「はあ、自由ですか」
「美味しいものたくさんありますから」
 亀岡はいきなり放り出されることになって、不安になってきた。
「あの、お酒飲めるところで、いいお店はありますか?」
「お酒? お酒は、飲みませんから、この国は」
「え?」
「イスラム教は飲まないです」
「ああそうか」
「このホテルにバーはないけど、前のハイアットリージェンシーにバーがあります、でもビックリするくらい高いです。街でも飲める所はありますけど、そこは危険なので、行かない方がいいです」
 ホテルの部屋は、全てのものが日本の1.5倍の大きさだった。床は大理石で歩くたびにコツコツ音が鳴る。
 さてこれからどうしたらいいものか。亀岡はベッドに座って考えていた。
 ハミッドは朝に迎えにくると言っていたが、それが何時なのか聞き忘れていた。腹も減っている。
 とにかくフロントに行って、金を両替した。渡されたモロッコの紙幣、ディルハムは、柔らかくへたっていて、湿気った匂いがした。
 フロントの髭を生やしたおっさんが「ジャポン?」と訊いてきた。
「イエス」
「キャンユースピークフレンチ?」
「ノー」
 モロッコでは、アラビア語以外に通じる言語は、フランス語らしい。
 街を歩いていると、いたるところに音楽が流れている。それにかぶさるように人々の声が響いている。陽は徐々に傾いてきていて、街のネオンが光り出した。
 人々は車の行き交う大通りを信号無視で渡っていた。けったいな男がなにやら亀岡に話しかけてきたが、無視をして大通りを渡った。
 地図もないのでホテルから離れてしまうと迷子なってしまいそうなので、なるべく近辺を歩いていた。しかし、それでも入り組んだ路地がたくさんあって混乱してきた。さらに、耳をつんざく音楽や街の喧噪が、その混乱に拍車をかけた。
 とにかく腹が減った。でも、どこに入ったらいいのかわからない。目の前でチキンを焼いている店があったので、入ってみた。そして「ディスディス」とチキンを指した。店の男は、大きく頷き、椅子に座るように促した。椅子はプラスチックの安物で、座るとグニャリと曲がり、安定が悪かった。
 メニューを見たが、やはりアルコールの類いはなかった。
 亀岡はコーラを頼んだ。チキンの焼かれたものには、パンとオリーブがついてきた。チキンは味付けがしっかりしていて美味しかったが、パンは干からびたような代物でやたら硬かった。それにコーラは日本で飲むよりも甘く感じた。
 飯を食い終わりホテルに戻る途中、裏路地を覗くと、怪しい、紫の光の看板があった。どうも酒場らしい。しかし、その雰囲気はあまりにも怪しすぎる。酒を飲まない宗教の国で、酒を飲むということは、とんでもない罪を犯すことなのだろうか。
 元来酒飲みである亀岡は、怪しさや恐怖よりも、酒を飲みたいという気持ちの方が勝っていた。とにかくビールが飲みたかった。
 路地を入って行き、恐る恐る店の扉をあけてみると、とんでもない爆音でアラビアンポップスが流れてきた。もうそれだけで、亀岡の感覚を危うくさせた。
 店の中には、何かをいぶしたような煙がもうもうと立ちこめていて、あきらかに目の濁ったヤバそうな連中がいた。顔だけみると山賊のような男たちで、まるで、西部劇のワンシーンに紛れ込んでしまったような気分になった。
(続く)