2010.3.10更新



 春先になって、亀岡は映画の撮影で約一ヶ月間、山のふもとの旅館に滞在していた。旅館の裏手には2000メートル級の山の登山口もあって、撮影は周辺の山や森、渓流などで行われていた。 
 滞在していた旅館は秘湯の温泉宿としても知る人ぞ知るといったところで、露天風呂もあり、料理も美味しかった。とくに、温泉の湧き出る近くに湯気の立っている砂場があり、そこに、鳥肉、じゃがいも、にんじんなどを突っ込んで埋め、地熱で蒸し焼きにする料理が絶品だった。
 撮影後は毎日温泉に入れるし、美味いものは食べれるのだが、町まで降りていくには車で1時間以上もかかり、さらに現場には女っ気がなく、スタッフも出演者も男ばかりだった。そのような場所で、2週間ほど同じメンバーと顔を合わせていたので、現場は、既に殺伐としてきていた。
 ちょっとしたことで怒りだす奴、何も喋らなくなってしまう奴、テンションだけはやたら高いが常に空回りをしてる奴、常に小言や文句をたれている奴、皆、自我がむき出しになってきていた。
 先日は主演俳優と監督が喧嘩をした。監督は20メートルほどの高さの木と木の間を、命綱なしでムササビみたいに飛んでくれ、と言った。
「スタントマンじゃないんですから、そんなことはできませんし、約束が違うじゃないですか、このシーンはスタントマンを使うって言ってたじゃないですか」
 主演俳優は監督に食ってかかった。
「いや、そんなこと言ってない」
 本来ならば、スタントマンを雇うべきなのだが、どうも、資金や諸々の問題が制作側にもあったらしい。
「だったら、スタントマンになれ」
「スタントマンにはなりたくないです」
 すると監督は突然怒り出し、
「お前は、俳優なんてやめて、スタントマンになれ!」
「だったらスタントマンを雇えばよかったでしょ」
「こっちだってカツカツで映画撮ってんだからよ。お前はスタントマンだ」
「スタントマンじゃねえって」
「スタントマンになれ」
「スタントマンになりたくなんかねえよ」
 といった感じで、最終的には、スタントマンになるかならぬかで言い争いになり、殴り合いにまで発展しそうになって、スタッフが止めに入った。そして、その日の撮影は中断してしまい、二人は夕飯のときに和解をした。
 結局そのシーンは、若い助監督が、昔体操部だったからという理由で、スタントを行なうことになった。しかし20メートルの高さは危険なので、3メートルの木でムササビ飛びを行なった。そして助監督は撮影を終えると、無言で現場を去ってしまった。その日以来姿を消してしまった。
 このような喧嘩の火種はいたるところにあった。照明さんが風呂に入らず臭いとか、助監督が森の中で糞をして、それを俳優が踏んでしまったとか……。
 現場は、ギリギリになって、状態がおかしくなったような奴等ばかりになってしまった。そこで亀岡は、自分だけ撮影が休みの日に山の中に入って、山菜を採ってきて、皆に振る舞おうと思った。
 このような状況になっていると、そのようなちょっとしたことでも、皆はイベントのように喜んでくれる。
 亀岡は昔、一人でツーリングをしながら山の中でキャンプをしてた頃、山菜採りに熱中していたことがあった。
 休みの日の朝、亀岡は撮影隊が出発する前に宿を出ることにした。宿のロビーには、カメラマンのクレさんがいた。
「おー、おー、亀岡ちゃん、山菜採りか」
「はい」
「沢山採ってきてよ」
「はい、宿のおばちゃんにも、山菜採れそうな場所聞いたんで」
「そうか。今の時期だとなにが採れるの?」
「タラの芽ですね」
「いいねえ、じゃあ、戻ってきたら天ぷらだね。遭難しないでよ」
「はい。じゃあ行ってきます」
「おーみんな! 亀岡ちゃんが山菜採りに出発するよ!」
 クレさんが言うと、他のスタッフや役者達も集まってきた。そしてそれぞれに声をかけてきてくれた。
「行ってらっしゃい」
「たくさん採ってきてよ」
「楽しみにしてるからね」
「気をつけて」
 少し照れくさい気分になった亀岡であったが、同時に、この期待に応えなくてはと思った。
 リュックを背負って、水筒を持ち、宿のおばちゃんに作ってもらったオニギリを持って出発した。
 宿の裏手にある登山道に入って、1時間くらい歩くと、川に出る。その川沿いをしばらく行った斜面に山菜があると、宿のおばちゃんがこっそり教えてくれた。山菜を採る人は、他人に場所を教えたがらないのだが、おばちゃんは、宿の旦那には内緒にしてね、と言って教えてくれた。
 登山道には所々に雪が残っていて、登山者の姿は全く見かけなかった。
 誰も居ない木々の間を歩いていると、この半月間の荒んだ気持ちが洗われていくような気がした。普段は鳥のさえずりなんかに気をとられることはないのだが、こんな風に新鮮に聞こえてくるのは、男だらけの現場で酒と煙草でやられた声しか聞いていなかったからなのかもしれない。
 向こうの方から川のせせらぎが聞こえてきて、しばらく行くと小川が見えてきた。そこから登山道を逸れ、川沿いを1キロくらい歩くと、斜面が見えてきた。宿のおばちゃんが山菜があると言っていたのは、この辺りのようだ。
 斜面を見上げると、雪がかなり残っていた。
 亀岡は川沿いの石に座り、せせらぎの音を聞きながら、おばちゃんに握ってもらったオニギリを食べお茶を飲みながら一休みした。宿を出て、もう3時間くらい歩き続けていた。撮影はハードで身体は疲れていたが、このようにしていると疲れが飛んでいった。
 こんな清々しい気分のときに現場のことは考えたくなかったが、頭が空っぽになってくると、ふと撮影現場のことが頭をよぎった。
 今回のように男ばかりの現場は、華やかな女優さんや芸能人がいる現場のように、気遣いが多くなったり、萎縮して自分が出せなくなってしまうことがなく、自分には合っているように感じていた。
 変に惑わされることもなく、むしろ皆を和ませようとする余裕まであって、現に山菜を採りにまできている。やはりおれは華やかさと無縁なのだろうか? 花より山菜。
 そんなことを思っているうちに、寂しさばかりがつのってきて、自分の情けなさや寂しさは、すべて女性が原因のような気がしてきた。亀岡の場合は一方的な恋ばかりだったので、女性を好きになることは、結果、自分の情けなさが吹き出てくるようなものだった。
 どうして自分は女の人が好きなのだろうか? どうせなら、男のことを好きな人間になれないものか、そうすれば、このような気持ちはなくなるのだろうか。特に今回のような現場は、天国に感じられるかも知れない。
 いや、そうでもないな……。亀岡は、山の空気を思いっきり吸いこんだ。
 それよりも、このまま山の中で一人暮らすのはどうだろうか。感傷的な寂しさは吹き飛ぶかもしれない。
 しかし、そうでもないな……。
 やはり自分は女性が好きである。一方的でもいいから恋をたくさんしたい。打ち砕かれても、それが生きる糧となっているのではないかと思った。
 オニギリを食べながら、そんなことを考えていると、無性に都会が懐かしくなってきた。そして、近所のスナック「キャロット」のことが思い出された。亀岡が最近恋をしているのは、二ヶ月前に働きだしたヨシミちゃんという、2人の子持ちの女性だった。
 ヨシミちゃんは旦那と別れ、平日の昼間は介護の仕事をしていて、週に2回スナックでアルバイトをしていた。年齢は32歳だった。
 スナック「キャロット」は、亀岡が家にいるときは毎晩のように通っている店で、常連客ばかりのアットホームなところだった。
「ヨシミちゃん元気かなぁ」
 今から登ろうとしている斜面を眺めながら、亀岡はつぶやいた。

 今回の映画は、「山伏サンダーキラー」という映画だった。
 主人公の山伏が山の中を歩き回り、300年山に住んでいるタヌキ師匠と知り合いになる。そして、タヌキ師匠から様々な妖術を教えてもらう。しかし山の中には、盗賊や悪党、妖怪がいて、タヌキ師匠のヘソのゴマを狙っている。そのヘソのゴマを煮込んで飲むと、雷を自由に操れるというのだ。
 ある日、タヌキ師匠はイノシシ一族の放った矢に当って倒れてしまう。山伏は師匠の住んでいる切株ハウスに連れていくが、タヌキ師匠は次の日までに俺は死ぬだろうと言って、自分のヘソからヘソのゴマをとり出して丸め、山伏に渡し、これを10日間煮込み続け、それを飲めと言って息絶えてしまう。
 山伏は洞窟に籠ってヘソのゴマを煮込み続ける。
 10日後、山伏は、ヘソのゴマを飲む。そしてサンダーキラーとして雷を操れるようになり、イノシシ一族へ復讐しに行くのだった。
 亀岡の役どころは、そのイノシシ一族の手下の役だった。常にイノシシの毛皮を被って、巨大なイノシシと生活しながら、山の中を暴れ回っている。
 そして最終的には、裏切ってもいないのに、裏切ったと間違えられて、手下仲間に殺され、巨大イノシシの餌にされ、食べられてしまう。
 巨大イノシシは、当初は大きなヌイグルミをリモコンで操作していたが、山の湿気などで機械が壊れてしまい、全く動かなくなってしまった。なので今は、全く動かないイノシシと喋ったり(亀岡の役はイノシシと会話ができる)しなくてはならなかった。
 現場もひっちゃかめっちゃかであったが、映画の内容もひっちゃかめっちゃかなのだった。
 
 亀岡は、オニギリを食べ終ると、「さあ、山菜を取りに行かなくては」と気合いを入れて、斜面を登り始めた。そして調子よく、ひょいひょいと、木の枝につかまったり、地面に手をついて、登っていった。
 しばらくして振りかえってみると、下の方の川は小さく見え、斜面は登る前よりも急勾配に感じた。だが、少し先を見上げると斜面がゆるやかになっている場所があって、そこにタラの芽がありそうな予感がした。
 亀岡は足どりを早めて登っていった。すると突然、靴の裏が何かを踏んでズルッと滑った。
「イノシシの糞だ」
 そう思った瞬間、亀岡は斜面を転げ落ちていった。
(続く)