2009.12.10更新



 また一人で酒を飲んでいる。初めて来た街の裏路地、赤提灯、薄汚れた暖簾は手垢にまみれ擦り切れている。蛍光灯が明るすぎる店内は、キレイではないが、不潔な感じはしない。亀岡はカウンター席の粗末な丸椅子に座って、コロッケと御新香でビールを飲んでいる。カウンターの中では、痩せた60歳くらいの無口そうなおやじが、お茶を飲みながら入り口脇にある冷蔵庫に乗っているテレビを眺めていた。テレビでは時代劇がやっていて、亀岡はこの時代劇に半年前、ケチな商人の役で出たことがあった。
 今回は映画の撮影で、亀岡は、いちゃもんをつけてきたヤクザ者にロビーの灰皿で殴られ、救急車で運ばれるホテルの番頭の役だった。朝からの撮影であったが、亀岡以外のスタッフや俳優はまだ撮影が終らず、彼は一人でホテルに戻ってきた。現場を去るとき夕食の弁当を渡されたが、それは食べずにホテルの部屋に置きっぱなしにして、駅の方まで歩いて、この店に入った。
 外は冷たい風が吹いていた。なんでもこの街は、寒風が有名で、その気候を活かし寒天が名産らしい。寒天は、どのようにつくるのか知らないが、名前からして、この土地には好条件な気がした。
 亀岡は職業俳優で、他に仕事はしていない。しかし、いわゆる芸能人とは違って、殆どが脇役なので、世間に顔をさらして歩いていても、彼が役者だと気づくものはあまりいなかった。それに気づかれたとしても、「ああ、どこかで見たことがある」という程度だった。年齢は37歳であったが、見た目よりも老けて見えた。髪の毛は天然パーマで頭部が少し薄くなっている。普段はバリカンで短くしていたので、坊主頭に近かったが、監督やプロデューサーの要望に応じて、伸ばすようにしていた。しかし伸ばすと奇っ怪な見た目になってしまうので、なるべく短髪でいたかったが、その奇っ怪さを重宝がられ、最近は短くできないでいた。身長は170センチで、それほど高くなかったが、学生時代野球をやっていたので、筋肉質でがっしりしていた。顔は色黒で、目はいつも眠たそうな、とぼけた印象があった。しかし暴力的なシーンなどでは逆にその目が恐ろしく映ることもあり、ほのぼのしたシーンでも、そのとぼけた感じが活かされた。要するにバイプレイヤーというやつだった。
 それに世間的に認知度は低くても、監督やディレクターは、亀岡の雰囲気や役者ぶりを重宝がってくれて、仕事は途絶えることはなく、役者の仕事だけで生活に困るということはなかった。また結婚もしていなかったので、入ってきたギャラは全て自分の為に使うことができた。しかし趣味といったら、オートバイでぶらぶらツーリングに行くか、夜は居酒屋やスナックに繰り出し、酒を飲むのだけが楽しみといった生活をしている。
 酒場のテレビは時代劇が終わると、世界各地の料理を紹介する短い番組が始まり、外国の港町の映像が流れた。亀岡はビールをコップに注ぎながら、眠たそうな目でテレビを眺めていた。
 テーブル席に座っている爺さんは、赤い毛糸の帽子をかぶったまま熱燗を飲んでいた。客は亀岡とその爺さんだけだった。
 テレビでは、温暖そうな港町の映像が流れ、女性レポーターが「スペインはガリシア地方の港町、ポルト・ド・サンに来ています」と言った。次にレポーターは海の脇にあるレストランのテラスでイカを食べはじめた。イカの身の中にはご飯が詰まっており、
「これは、日本でいうとイカメシですね、スペインにも同じようなものがあるなんて不思議ですね」とわざとらしく驚いてみせると、横に立っていたレストランの主らしき、スペイン人のおっさんが大きな声で笑った。
「ここ、ポルト・ド・サンには、イカの他にも、タコが有名なんですよ」とレポーターが言うと、「プルポ!」とおっさんが言って、別の大きなお皿が運ばれてきた。プルポとはスペイン語でタコのことらしい。
 運ばれてきたお皿の料理は、ぶつ切りにされたタコの足が盛られており、上にはパプリカやオリーブオイルがかかっていた。
「このタコ料理はプルポ・ア・フェイラと言いまして、日本語にすると、タコ祭り、でして、ほーら見てください、このタコの盛られ方、お祭りみたいでしょう」
 あんなとこに行ってタコを食べてみたいもんだと亀岡は思った。しかし同時に、一人で行ったところで、寂しくなるだけかも知れないとも思った。
 旅行といったら亀岡は、いつも一人オートバイでどこかの温泉に行って、夜はスナックに繰り出し、酒を飲んでカラオケを唄うことしか、この数年間はしたことがなかった。
 ビールがなくなったので、熱燗を頼もうと思うと、カウンターの中には、さっきまでいた無口そうなおやじの姿は見当たらず、代わりに30歳前後の女性が白いセーターの上に真っ赤なエプロンをしてポケットに両手を突っ込んでテレビを眺めていた。テレビでは美容液のコマーシャルが流れていた。彼女は口紅を薄く塗って、少し疲れた目をしていたが、それが色っぽく見えた。
「すいません」と亀岡が言うと、女は我に返ったように、テレビから視線を外し亀岡を見た。
「あ、はい」
「熱燗ください」
「熱燗ですね、はい」
「あと、タコください」
「タコ。はい。あー、お客さん今のテレビ見たからタコ食べたくなったんでしょ」
 亀岡は無意識にタコを頼んだが、
「そうかもしんないです」
「でも、あんな美味しそうなタコ、うちにはないですよ。ただの、ボイルしたタコの刺身ですけど、いいですか?」 
 感じのいい女性だった。しかし、このような店で働いているには年齢がまだ若い気がする。地元の人だろうか? ずっとこの街に居るのだろうか? 
 彼女は、熱燗をつけると、冷蔵庫からとりだしたタコの足を馴れた手つきで切りはじめた。その動きは、先ほどカウンターの中に入っていた、おやじに劣らずテキパキとして無駄がなかった。無駄のない人の動きは見ていて心地よい。亀岡の職業である役者も、無駄のない演技をする役者がたまにいて、そのような演技を眺めていると、やはり心地よくなったし、亀岡も、そんな演技ができるようになりたいと思っていた。一方、いちいち大袈裟に、上手ぶって、細かな演技や、感情を表に表わしてくるような役者はあまり好きではなかった。とくに小器用に、そんな演技をする役者をみると、腹立たしさすらおぼえた。
 女は徳利とお猪口をカウンターに置くと、ニッコリ微笑んだ。亀岡も微笑みかえしたのだが、ギコチない、なんだか自分でもいやらしいくらいの微笑みだと思い、恥ずかしくなった。
「あの港町、想像しながら食べてください。そうすれば、ちょっとマシになるかもしれませんよ」
「そうですね」
「お勘定お願い」
 声がして、入り口の脇に座っていた赤い毛糸の帽子を被った爺さんが立ち上がってカウンターにやってきた。爺さんは金を渡しながら、女となにやら親しげに話をしていた。
 赤い毛糸の帽子の爺さんが帰ってしまうと、客は亀岡一人になってしまった。女はテーブル席から爺さんの食べていた食器を持ってきて、カウンターの中で洗い物をした。そして一人カウンターで飲む亀岡を見ると、
「あっそうだ、お客さん、寒天食べますか? ちょっとあまっちゃっているからサービスします。ご馳走しますけど」
「ありがとうございます。寒天ってここら辺の名産なんですよね」
「そうなんです」
「今朝、駅前のお土産屋に旗が沢山立っていました」
「まあ、たいしたものじゃないんですけどね、さっぱりして良いですよ」
「いただきます」
 女は冷蔵庫から、プルプルした四角い寒天のかたまりを出して、包丁で薄く切って皿に盛り、酢醤油を出してくれた。
 亀岡は、酢醤油につけて寒天を食べてみた。
「別になんてことない味でしょ」女は言った。
「そうですね」
 確かに寒天そのものは、なんの味もしなかった。
「でも、寒天のことを、なんてことないなんて言ったら、ここら辺の人は怒るからね。なんせ、寒天くらいしか名産がないんだから」
「お姉さんは、ここら辺の生まれ?」
「そうですよ」
「あっそうか。じゃあ美味しいですよ寒天。うん、これ食感がね、あれなんですかね」
「じゃあ、なんて言われてもね」
「いや、美味いです」
「もう、遅いですよ」
 彼女は笑いながら、再び洗い物を続けた。
 外では吹きすさむ風の音がきこえてきていた。なんだかもう、客がやってくるような気配はなく、彼女は洗い物が終った様子だったので、亀岡は、
「お姉さんもなんか飲みますか? 俺ご馳走しますけど」
「じゃあビール飲んじゃおうかな」
 女は冷蔵庫からビール瓶を出して栓を抜き、コップに注ぎながら、「いただきます」と言って、カウンターの中で立ちながら飲んでいた。
 そしてしばらく雑談をしていたが、突然、亀岡の顔をまじまじと覗き込んで、
「あれ? なんか、お客さんどこかで見た事あるけれど、どうしてだろう?」
「よくある顔ですから」と亀岡は言った。
「そうかな? そんなよくあるような顔には見えないけれど」
 実際に亀岡の顔はよくあるような顔ではなく、特徴的な顔をしていた。
「え? 仕事ですか? こっちきたの?」
「まあ、そうです」
「なんの仕事?」
「なんのっつうか、まあ、あれです。国道にボーリング場ありますよね」
「はい」
「あそこに、ボーリングの球を売りにきたんです」
「ボーリングの球?」
「はい」
「じゃあ、重い球持ち歩いてるの?」
「いや、重いから、その、カタログで」
 亀岡は自分が役者だと公言するのは恥ずかしくて、つまらぬ嘘を付いてしまった。ボーリングの球を売ってるなんて言ってしまったのは、今回泊っているホテルの近くにボーリング場とショッピングセンターが一緒になった場所があって、そこを思い出したからだった。
「じゃあ、球売りながら各地まわっているんですか」
「まあそうです」
 しかし、実際、ボーリングの球を売り歩いている人なんて本当にいるのだろうか? それにこれ以上質問されると、答えきれなくなってしまうので、話題を移さなくてはと思い、
「お姉さんは、ここで働いて長いんですか?」
「長いっていうか、この店私の実家なんですよ」
「じゃあ、さっきカウンターの中にいたのお父さん?」
「そうです。あたし1ヶ月前に出戻ってきたんで、それで、ここ手伝っているんですけどね、でも、初めて会った人にこんな話してもなんですよね」
「いやいいですよ」
「お客さんは東京から?」
「はい」
「ここからだと、そんなに遠くもないんだけど、あたし東京ってあんまり行ったことがないですよ。一回住んでみたいけど」
「そうですか。住むなら、さっきのスペインのタコの町みたいなところがいいですよ」
「あんなところだと人間もカラっとしてるんでしょうね」
「そうだろうね」
「ここら辺も、カラっと乾燥してるけど、寒いだけだから、皆縮こまっちゃってますよ」
「俺も、縮こまって生きてますよ」
「そうですか、でもね、こっちは、御柱のお祭りがあって、そのときは凄いですよ、縮こまった人達が一気に飛び出しますから、知ってます? 御柱のお祭り」
「あの、長い木に乗って、斜面滑り落ちる、あれですよね?」
 亀岡は熱燗を飲み干してしまい、もう一本つけてもらった。つきっぱなしのテレビでは、ニュースが流れていた。
 アメリカで宇宙飛行士の女が暴行で逮捕されたというものだった。彼女は好きだった同僚の宇宙飛行士に会いに行くために1400キロの道程を、途中で用を足すため停まらなくても良いようにと、オムツを履いて車を飛ばし、男性の元に行って暴行におよび逮捕されたらしい。男性の方には奥さんも子供もいて、浮気の末、どうしようもなくなった女の犯行だった。
 ニュースを見て、亀岡は、熱燗の酒をお猪口に注ぎながら、彼女と笑った。
「すごい女ですね」亀岡は言った。
「でも宇宙飛行士って冷静沈着でなきゃなれませんよね。まあオムツとは考えたけれど、やっぱ宇宙飛行士だからやることが違うんですかね」
「恋の力ですかね」
「お客さんは結婚してますか?」
「してません」
「じゃあ恋は?」
「恋なんてのもめっきりしてません」
「あたし、別れてみて思ったんですけど、一人の方が気楽かも知れませんよ」
「寂しいですよ。一人って」
「じゃあ寂しくなったら、また飲みに来てくださいよ」
「ならオムツ履いてこようかな」
「そしたら、オムツ取り換えてあげますよ」
「ほんとう?」
「いいですけど。そういう趣味ですか?」
「いや、違いますけど」
 変な沈黙が流れてしまった。
「あの、お姉さんは、お名前は、なんて言うんですか?」亀岡は訊いた。
「室田です、ほら店の暖簾にもムロタってあったでしょ。下の名前は安曇(あずみ)です」
「安曇さんですか」
「はい。安曇野って場所があるんですよ、母がそこの出身で、それで安曇です。お客さんは?」
「亀岡です」
「亀岡さんですか」
 女はしばらく考えて、クスっと笑った。
「なんですか?」
「なんか亀岡さん、今、亀みたいですよ。お店、寒いですか? 首が縮こまってますよ」
「いや、寒くはないです。大丈夫」
 これは亀岡の癖だった。首が縮こまるというか、肩が上がってしまうのだった。自分の居場所がいつもここじゃないと感じていた結果、そのような癖がついてしまったのかもしれない。
「おーい、出てこい」女は言った。
 亀岡は、肩を下げ、首を伸ばし、顔もニョローっと伸ばした。その姿を見て、彼女が笑った。
「あの、本当寂しくなったら、また来ちゃいますよ、オムツ履いて」
「トイレも惜しんで」
「おれ車は持ってないから、オートバイで来ますよ」
「オートバイ寒いでしょ」
「オムツしてますから」
「オムツって暖かいのかな?」
「暖かいでしょ、あんなに分厚いんだから」
 それからもだらだら、二人で話をしていたが、撮影で朝が早かった亀岡は、酔いもだいぶまわってくると、眠くなってきた。
 だが彼女と話していたかったので、眠ってはならないと、おしぼりで顔を拭いたり、便所に行って顔を洗ったりして、眠気を取り払おうと試みていたが、結局、カウンターに突っ伏して眠ってしまった。